スタジオジブリの名作『もののけ姫』の物語は、主人公・アシタカが人間と森の共存という答えの見えない道を歩み始める場面で幕を閉じます。
「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない」 「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」
この感動的な別れの言葉から、アシタカはその後、どのような人生を歩んだのでしょうか?そして、村を追われた一人の若者が、いかにして時代を超えて語り継がれる「英雄」となったのでしょうか?この記事では、アシタカの物語がどのようにして伝説になったのか、その舞台裏を考察します。
アシタカの物語を語り継いだのは誰か?
映画の中では描かれていませんが、アシタカの物語は間違いなく、彼と関わった多くの人々によって語り継がれたはずです。
タタラ場の人々
最も直接的にアシタカの物語を語り継いだのは、間違いなくタタラ場の人々でしょう。彼らは、タタリ神の襲撃からアシタカに救われ、サンやモロの君との戦いを目撃しました。彼らにとって、アシタカは命の恩人であり、森の神と対等に渡り合った「奇跡の若者」でした。
タタラ場の女性たちは、アシタカの呪われた腕の力と、その冷静さに感銘を受けます。リーダー格のトキさんは、アシタカがサンを助けるために命がけで奮闘した姿を見て、「お前たちは、あの若者に学ぶんだよ!」と男たちを叱咤する場面があります。このセリフは、アシタカがタタラ場の人々にとって、単なる旅人ではなく、生きる上での手本となる「英雄」として認められた瞬間です。
彼の物語は単なる昔話ではなく、「人間と森が共に生きる道を教えてくれた希望の物語」として語り継がれたことでしょう。
旅の途中で出会った人々
アシタカは旅の道中、様々な村や町を通り多くの人々と出会いました。彼が持っていた、見たことのない黒曜石の小刀や、彼が背負っていた呪いの傷は、人々の好奇心を強く掻き立てたはずです。
彼は、旅人として村から村へと移動しながら、静かに人々の手助けをしました。彼の物語は、旅人たちの間で噂として広まり、次第に「東から来た不思議な力を持つ若者」として伝説的な存在になっていったと考えられます。
アシタカが遺した「伝説」の真の姿
アシタカの伝説は、単に強い力を持った英雄の物語ではありません。彼が語り継がれた最大の理由は、彼が示した「生き方」そのものにあります。
憎しみを乗り越える「共生の物語」
アシタカの物語は、「憎しみは憎しみしか生まない」という、ナゴの守の言葉を体現しています。彼は呪いという憎しみを背負いながらも、誰かを憎むことを選びませんでした。彼の伝説は、どんなに困難な状況でも憎しみに囚われず、相手を理解しようとする。その姿勢こそが真の強さであると教えています。
「架け橋」としての英雄
アシタカは、どちらか一方に加勢するのではなく、人間と森の間に立ち対話しようとしました。彼の伝説は、異なる立場の者同士が互いに理解し合い、手を取り合えば、希望が生まれるという「共存の物語」そのものです。
彼の物語は、ただの昔話ではなく、森を切り開きながら生きる後世の人々にとって「自然を畏れ、共存の道を模索すべきだ」という教訓として語り継がれたことでしょう。
まとめ:アシタカの伝説は、今も生きている
アシタカは、自らの人生を「英雄」として語り継ぐことを望んでいなかったかもしれません。しかし、彼の行動は、タタラ場の人々を救い、サンとの間に希望の光を灯し、多くの人々の心に深く刻まれました。
アシタカの伝説は、力で何かを征服する物語ではなく「憎しみを乗り越え、共に生きる」という希望を伝える物語です。
彼の物語は、今も私たちの心の中で生き続けています。
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