『鬼滅の刃』の猗窩座(あかざ)は鬼舞辻無惨配下の十二鬼月といわれている上弦の鬼『上弦の参』として登場する恐ろしい鬼なのですが、悲しい過去をもった同情すべき点が多く、憎むべき存在のキャラクターでもファンが多い一面もあります。
この記事ではそんな猗窩座(あかざ)の過去を掘り下げていきたいと思います。
生い立ち:病気の父とスリで暮らす日々
猗窩座(人間時の名は狛治〈はくじ〉)は、幼いころから貧しい生活を送りながら、病に伏した父を支えるためにスリを繰り返していました。罪を犯すことを悔いながらも、生きるため、父の薬代のために手を染めていたのです。しかし、そんな狛治の行動に心を痛めた父は自ら命を絶ち、「まっとうに生きてほしい」と願いを残しました。この出来事は、狛治の心に深い傷を残すことになります。
慶蔵との出会いと救いの手
心が荒んでいた狛治に、温かく手を差し伸べてくれたのが、武術道場を営む慶蔵(けいぞう)でした。慶蔵は狛治の素質を見抜き、自分の道場に住まわせ、真っ当な生活を与えます。慶蔵の娘・恋雪(こゆき)もまた、病弱ながらも狛治に優しさを向け、やがて二人の間には穏やかな絆が芽生えていきます。
恋雪との穏やかな時間──幸せの兆し
慶蔵と恋雪の存在によって、狛治はようやく安らぎを手に入れ、犯罪に手を染めることもなくなりました。恋雪の看病を続け、彼女の病も回復。将来的には結婚を前提とした話も進んでおり、狛治にとってこの時間は“ささやかな幸せ”そのものでした。
すべてを奪われた日──毒殺と復讐
しかし、そんな幸せは突然終わりを迎えます。慶蔵の道場に対して対抗心を抱いていた近隣の道場の人間が、卑劣にも毒を盛り、慶蔵と恋雪を死に追いやったのです。この悲劇を知った狛治は激怒し、怒りに任せて相手道場の門下生を素手で全滅させるという壮絶な復讐を遂げました。
鬼になる瞬間──無惨の囁き
人を殺した罪悪感と愛する人を失った絶望の中で、狛治の前に現れたのが鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)です。無惨は彼の中にある強さと怒りを見抜き、鬼となるよう誘います。生きる意味も、守るべき人も失った狛治は、己の力を求めるままに鬼になる道を選び、やがて上弦の参「猗窩座」へと変貌していきました。
猗窩座が“強さ”に固執する理由とは?
鬼となった猗窩座は、「弱者は嫌いだ」「強さこそが正義だ」と繰り返します。これは、過去に父や恋雪のような“守りたい存在”を守れなかった自分の弱さへの憎悪の裏返しとも言えるでしょう。人間だったころに失ったすべてのものを、強さによって乗り越えようとする――それが猗窩座の歪んだ信念なのです。
人間だった記憶を失っても残った執念
鬼としての猗窩座は人間だったころの記憶をほとんど失っていましたが、強さへの執着だけは消えませんでした。それは、深層心理に刻み込まれた“後悔”と“喪失”の象徴でもあり、猗窩座というキャラクターに切なさと悲哀をもたらしています。
まとめ:猗窩座の悲劇は“守れなかった男”の物語
猗窩座は、守りたかった家族を守れず、自分を責めながらも生き延びてしまった男です。彼の強さへの執着は、罪の意識と無力感から生まれたものであり、ただの残酷な鬼ではなく、深い悲しみを背負った存在として描かれています。その過去を知れば知るほど、猗窩座の言動の裏にある「人間らしさ」が見えてくるのです。
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