『もののけ姫』サンとモロの親子関係とは?哀れで醜い娘の真意についても

エンタメ

スタジオジブリの名作『もののけ姫』。その物語のヒロインである人間の少女サンと、彼女を育てた巨大な山犬、モロの君の関係は、単なる親子愛を超えた、複雑で深い絆として描かれています。

「人間なのに山犬の娘」「母と娘でありながら、互いを傷つけ合うこともある」――
一見矛盾しているように見える二人の関係は、なぜこれほどまでに多くの人々の心を打つのでしょうか?この記事では、映画では語られなかった背景、セリフに隠された真意を読み解きながら、サンとモロの特別な「親子関係」の真実に迫ります。


サンはなぜモロに育てられたのか?捨てられた赤子の残酷な運命

サンとモロの関係を語る上で、まず理解すべきは、二人の出会いです。映画の冒頭、モロはアシタカに対して「人間が、森を侵した我が牙を逃れるために投げてよこした赤子だ」と語ります。この一文には、サンの過酷な生い立ちが凝縮されています。

サンは、生きるために両親に捨てられたのです。

しかし、なぜモロは、憎むべき人間の子を殺さず、あえて育てるという選択をしたのでしょうか?それは、モロの人間に対する憎しみが、単なる「殺意」ではなかったからかもしれません。モロは「人間を憎んでいる」と明言しながらも、その憎しみの対象は「森を侵す人間」という行為そのものに向けられていました。命を尊ぶ神であるモロにとって、生贄として差し出された赤子を殺すことは、自身の神としての尊厳を傷つける行為だったのではないでしょうか。

モロは、人間でありながらも森に捨てられたサンに、自分と似た「孤独」と「悲哀」を感じていたのかもしれません。サンを育てることは、人間への憐れみと同時に、自らの孤独を埋める行為でもあったのです。


「山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い私の娘」の真意

モロがサンを呼ぶこのセリフは、二人の関係性を最も象徴する言葉です。一見、サンを蔑んでいるように聞こえますが、その言葉には深い愛情と葛藤が込められています。

「山犬にもなりきれぬ」 サンは、どんなに山犬として生きても、その体は人間です。モロは、サンが人間社会に戻ることはできないが、山犬としても完全な存在ではないことを理解していました。この言葉には、「どちらの世界にも属せない哀れさ」に対するモロの深い悲しみと、複雑な心情が表れています。

「哀れで醜い」 この「醜い」という言葉は、山犬の美的感覚から見たサンの姿を表現していると解釈できます。山犬にとって人間は醜い存在です。しかし、モロはそれを「哀れで」と続けます。この言葉には、サンを思う親としての愛情と、彼女をそんな境遇に追い込んだ人間に対する怒り、そして何よりも、我が子を守りきれない自分自身への苛立ちが混在しているのです。

「私の娘」 そして、そのすべての感情を包み込むのが「私の娘」という言葉です。モロは、サンが人間であることを知っていながらも、心から彼女を自分の娘として受け入れ、愛していました。この言葉があるからこそ、前半の厳しい言葉が、親から子への、誰にも理解されない深い愛情に変わるのです。


母娘の葛藤:モロがサンに示した「生きる道」

映画の終盤、モロはアシタカに対して「あの子を解き放て、あの子は人間だ!」と叫びます。このセリフは、サンを自分の支配下に置こうとするのではなく、一人の人間として自立してほしいという、母としての願いが込められています。

モロは、サンがアシタカと出会い、人間としての世界を知ったことを感じ取っていました。サンが人間である限り、いずれ山犬の森では生きていけなくなることを、モロは悟っていたのです。だからこそ、死に瀕しながらも、サンに新しい生きる道を与えようとしました。この行動は、娘の幸せを願う親の姿そのものです。

サンは、モロを亡くした悲しみと、アシタカへの想いとの間で葛藤します。しかし、最終的には「森で生きる」という道を選びます。これは、モロがサンに与えた愛と、サンがモロから受け取った「生きる覚悟」の証です。たとえ種族は違っても、彼らの間には確かな親子としての絆が結ばれていたのです。


まとめ:サンのアイデンティティはモロの愛が作った

サンとモロの親子関係は、血の繋がりを超えた、深く複雑な愛の物語です。モロの愛は、サンに「山犬」としてのアイデンティティを与え、彼女を強くしました。
そして、死に際してはサンを「人間」として自立させることを願いました。

サンが「人間でありながら森で生きる」という道を選んだのは、モロが与えた愛と、アシタカとの出会いが彼女の中で一つになったからでしょう。モロはサンを心から我が子として愛し、守り、そして最終的には解放することで、彼女の人生を導きました。

サンとモロの親子関係は、愛とは、相手を支配することではなく、相手の幸せを願い、その存在を認め、時には解放してあげることであるという、普遍的なテーマを私たちに教えてくれます。

モロの君の言葉には、サンやアシタカへの深い想いが込められています。彼女とアシタカの関係についてさらに詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。

サンとモロの親子関係の背景には、モロの君が抱える人間への複雑な感情があります。彼女がなぜ「神」として描かれたのか、また、アシタカとの関係性についてさらに知りたい方は、こちらもぜひお読みください。

あわせて読みたい関連記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました