『もののけ姫』ラストの真実:アシタカとサンはなぜ「共に生きる」を選んだのか?

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スタジオジブリが描く名作『もののけ姫』。物語のクライマックス、シシ神の祟りから解き放たれたアシタカとサンは、森の再生を前に、それぞれ異なる道を歩むことを決意します。

「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない」 「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」

この感動的なセリフは、多くの観客に深い印象を残しました。なぜ二人は同じ場所で暮らすことを選ばなかったのでしょうか?そして、「共に生きる」という言葉に込められた真のメッセージとは?この記事では、この複雑な結末に隠された宮崎駿監督の真意を徹底的に考察します。


なぜ二人は「別々の場所」を選んだのか?

アシタカとサンが、愛し合っているにもかかわらず、物理的に離れて暮らすことを選んだのには、明確な理由があります。

  • サンのアイデンティティ:人間であることへの葛藤 サンは、生まれた時は人間ですが、山犬のモロに育てられ、自らを「山犬」として生きてきました。彼女にとって、人間は森を破壊し、モロの命を奪った憎むべき存在です。アシタカを愛したとしても、その心の根底にある「人間を許せない」という想いは消えません。タタラ場で暮らすことは、彼女のアイデンティティを根底から否定することに繋がってしまうのです。
  • アシタカの使命:人間と自然の「架け橋」 一方、アシタカは呪いを解くために旅に出た人間であり、最終的に人間であるタタラ場の人々を救いました。彼は、憎しみに囚われることなく、人間と自然、双方の良さを見抜くことのできる唯一の存在です。タタラ場で暮らすことは、森を破壊するのではなく、持続可能な形で共生する道を探るという、彼にしかできない「使命」を果たすことを意味しています。

二人は「どちらかの世界に属する」のではなく、それぞれの立場を尊重し、異なる世界から手を取り合う道を選んだのです。これは、単純なハッピーエンドではない、現実の複雑さを反映した結末と言えるでしょう。


宮崎駿監督が語った「その後」と「トゲ」の真実

『もののけ姫』の結末について、宮崎駿監督は公式インタビューなどでその真意を明かしています。

監督は、サンが最後に語った「人間を許すことはできない」という言葉を「アシタカに刺さったトゲ」だと表現しました。

アシタカは、サンとの関係を築くために、この「トゲ」を抱えながら生きていくことになります。タタラ場では、生活のために木を切り、鉄を作る必要があります。
しかし、サンは「森の木を切るな」と訴えるでしょう。アシタカは、愛するサンと自分が生きる人間社会の間で、何度も板挟みになり、傷つくことになると監督は語っています。

しかし、それでもアシタカは「曲げずに生きていこうと思う」とされています。この結末は、「すべてが解決して幸せになる」という物語ではなく、「困難な問題は解決しないが、それでも共存の道を諦めず、懸命に生きていく」という、現代を生きる私たちへの強いメッセージなのです。


まとめ:「ハッピーエンド」ではない、希望に満ちたラスト

アシタカとサンの結末は、一般的に考えられる「ハッピーエンド」とは違います。しかし、それは決して悲劇ではありません。

  • 二人は「別々の場所」に立ちながら、「共に生きる」という新しい共存の形を選んだ。
  • 「人間を許せない」という言葉は、安易な和解を拒否し、二人の関係性をより深く現実的なものにしている。
  • 監督が語った「トゲ」は、困難な問題と向き合い続けることの大切さを示していた。

アシタカとサンの物語は私たちに「完全な和解は難しい。しかし、互いの違いを認め、歩み寄る努力を続けることで、未来への希望は生まれる」という普遍的で力強いメッセージを投げかけているのです。

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