NHK連続テレビ小説『ブラッサム』で、珠と保が東京を離れ、北海道・札幌へ移住しました。
東京帝国大学を辞めた保が、珠と新しい生活を始めるために選んだ北海道。しかし、二人を待っていたのは、春先とは思えない雪景色と厳しい寒さでした。
珠が冷たい板の間から畳の上へ逃げる姿を見て、親戚の木村正吾は、北海道の寒さは命に関わると忠告します。
東京で暮らしてきた珠にとって、北海道の冬は想像以上に厳しいものだったのでしょう。
そもそも、大正時代に東京から札幌へ行くには、どれくらいの時間がかかったのでしょうか。
当時は汽車と青函連絡船を乗り継ぎ、順調でも30時間以上を要する長旅でした。
今回は、珠と保がたどったと考えられる移動経路や所要時間、春先でも雪が残る札幌の気候、当時の住宅や暖房事情について紹介します。
『ブラッサム』東京から北海道まで何時間かかった?
珠と保が北海道へ移住した大正時代、東京から札幌までは、汽車と船を乗り継いで約35時間かかる旅でした。
1919年(大正8年)10月の時刻表をもとにした一例では、上野駅を午後1時に出発し、札幌駅に到着するのは翌日の午後11時35分です。
所要時間は34時間35分。ほぼ1日半に及ぶ移動になります。
現在のように新幹線や飛行機で短時間に移動できる時代ではありません。
汽車に長時間揺られ、途中で船に乗り換え、さらに北海道の鉄道を利用する必要がありました。
大正時代の東京から札幌までの移動経路
当時の代表的な移動経路は、次のようなものでした。
| 区間 | 交通手段 |
|---|---|
| 上野駅~青森駅 | 東北本線の汽車 |
| 青森港~函館港 | 青函連絡船 |
| 函館駅~札幌駅 | 函館本線の汽車 |
まず東京の上野駅から汽車に乗り、東北地方を縦断して青森へ向かいます。
青森では青函連絡船に乗り換え、津軽海峡を渡って函館へ。
函館からは再び汽車に乗り、長万部や小樽を経由して札幌を目指しました。
ドラマでは二人の詳しい乗り継ぎまでは描かれていませんが、当時の交通事情から、このような経路で北海道へ向かったと考えられます。
1919年の時刻表では約34時間35分
大正時代の時刻表をもとにすると、東京から札幌までの旅は次のようになります。
| 場所 | 時刻 |
|---|---|
| 上野駅を出発 | 1日目 13時00分 |
| 青森駅に到着 | 2日目 6時30分 |
| 青森から連絡船に乗船 | 2日目 8時00分 |
| 函館に到着 | 2日目 13時15分 |
| 函館から汽車で出発 | 2日目 14時05分 |
| 札幌駅に到着 | 2日目 23時35分 |
※1919年10月の時刻表をもとに紹介されている乗り継ぎ例です。実際の所要時間は列車や船の接続によって異なります。
上野から青森までの汽車だけで17時間30分。
その後も船と汽車を乗り継ぎ、ようやく札幌へ到着します。
しかも、長旅を終えた二人を待っていたのは、東京とはまったく違う寒さでした。
大正時代の汽車旅はどれほど大変だった?
当時の鉄道は、主に蒸気機関車が客車を引いて走っていました。
現在の列車と比べると速度が遅く、移動には長い時間が必要でした。
珠と保のように北海道へ移住する場合、身の回りの荷物を持って何度も乗り換えることになります。
夜も汽車の中で過ごす長旅
上野から青森までの移動では、夜をまたいで汽車に乗り続けます。
当時の客車には等級があり、設備や座席の快適さも異なっていました。
寝台車を利用できる列車もありましたが、すべての乗客が横になって眠れるわけではありません。
長時間座ったまま移動する人も多く、身体への負担は小さくなかったでしょう。
珠は赤ちゃんとの別れを経験したばかりです。
保がそばにいたとはいえ、新天地への移動は心身ともに大きな出来事だったと思います。
青函連絡船で津軽海峡を渡った
本州と北海道を結ぶ青函連絡船が就航したのは、1908年(明治41年)のことです。
青森と函館の間を船で結び、人々の移動や物資の輸送を支えていました。
大正時代には、津軽海峡を渡るために数時間を要しました。
冬から春にかけての津軽海峡は、強い風や高い波に見舞われることもあります。
船酔いや天候による遅れなど、汽車とは違う苦労もあったはずです。
現在の青函トンネルが開通したのは1988年(昭和63年)。珠と保が暮らした時代から、ずっと後のことでした。
札幌は春先でも雪深い?ドラマの雪景色は本当?
『ブラッサム』では、珠と保が札幌に到着したとき、まだ雪が深く残っている様子が描かれました。
東京では春を迎えていても、札幌では冬の寒さが続いていることがあります。
この気候の違いは、現在でも見られるものです。
札幌では4月上旬まで根雪が残る
気象庁の平年値によると、札幌で長期間積もり続けた雪がなくなるのは、平均して4月上旬です。
つまり、3月になっても地面が雪に覆われていることは珍しくありません。
さらに、4月に入ってから雪が降る年もあります。
ドラマで描かれた春先の雪景色は、札幌の気候に合ったものです。
ただし、現在の気象データが大正時代のその日の天候を示しているわけではありません。
札幌では春の訪れが東京より遅いという、地域の特徴を表した場面といえるでしょう。
東京と札幌では春の気温が大きく違う
現在の気象データを参考に、東京と札幌の平均気温を比べてみましょう。
| 月 | 東京 | 札幌 |
|---|---|---|
| 3月 | 約10℃ | 約1℃ |
| 4月 | 約15℃ | 約7℃ |
※近年の気象データをもとにした目安です。
3月の平均気温には、約9℃もの差があります。
東京で春物の服を着始めるころでも、札幌では厚手の防寒着が必要になります。
珠が北海道の寒さに驚いたのも無理はありません。
珠が冷たい板の間から畳へ逃げた理由
札幌での生活が始まると、珠は家の中でも北海道の寒さを実感します。
印象的だったのが、板の間の冷たさに耐えられず、畳の上へ逃げる場面です。
東京での生活に慣れていた珠にとって、足元から伝わる冷気は想像以上だったのでしょう。
板の間はなぜ冷たかった?
木の床は、寒い場所では表面の温度が下がり、足の裏から体の熱が奪われます。
特に当時の住宅は、現在のような高性能な断熱材や気密性の高い窓が一般的ではありませんでした。
床下から冷気が入り込んだり、隙間風によって室内が冷えたりすることもありました。
一方、畳は木の板に比べて熱が伝わりにくく、足を置いたときに冷たさを感じにくい性質があります。
珠が畳の上へ逃げたのは、少しでも足元の冷たさを避けようとした自然な行動だったのでしょう。
当時の北海道の家にはストーブがあった?
北海道では、明治時代から寒冷地に適した住宅づくりが進められていました。
暖房には、薪や石炭を燃やすストーブが使われるようになります。
北海道開拓の村の資料によると、ストーブは明治後期から一般家庭にも広まり、大正時代には暖房器具として重要な存在になっていました。
ただし、ストーブがあれば家全体が暖かくなるわけではありません。
暖房のある部屋と廊下、板の間などでは、温度に大きな差が生じることもあります。
珠が感じた寒さは、当時の住宅事情を知るうえでも興味深い描写でした。
木村正吾が「北海道の寒さは命に関わる」と忠告した理由
板の間の冷たさに驚く珠を見て、親戚の木村正吾は、北海道の寒さを甘く見てはいけないと忠告します。
寒さが命に関わるという言葉には、北海道で暮らしてきた正吾の実感が込められていたのでしょう。
現在のように住宅の断熱性能や暖房設備が整っていなかった時代、寒さへの備えは暮らしの大切な問題でした。
寒さを防ぐことは生活を守ることだった
北海道の冬は長く、気温が氷点下になる日も多くあります。
十分に暖を取れなければ、体温が奪われ、体調を崩す原因になります。
厳しい寒さの中では、低体温症や凍傷などの危険もあります。
また、雪によって移動が難しくなったり、燃料の確保に苦労したりすることもありました。
正吾の言葉は、珠を怖がらせるためではなく、北海道で安全に暮らすための心構えを伝えるものだったのだと思います。
東京とは違う生活の知恵が必要だった
北海道で暮らすには、厚手の衣類や冬用の履物を用意し、室内を暖めるための燃料も確保しなければなりません。
雪が積もれば、家の周囲の雪かきも必要になります。
東京では当たり前だった暮らし方が、そのまま北海道で通用するとは限らなかったのです。
岩国で育ち、東京で暮らしてきた珠にとって、札幌での生活は新しいことの連続だったでしょう。
正吾の忠告には、そんな珠に早く北海道の暮らしを覚えてほしいという気遣いも感じられます。
宇野千代も北海道の寒さに驚いた?史実との関係
珠のモデルとなった作家・宇野千代も、実際に北海道・札幌で暮らした経験があります。
宇野千代は1920年(大正9年)、夫の藤村忠が北海道拓殖銀行に就職したことに伴い、札幌へ移住しました。
藤村忠は東京帝国大学を卒業してから北海道へ向かっています。
一方、ドラマの保は珠のために大学を辞め、予定を早めて札幌へ移住しました。
移住に至る経緯は異なりますが、東京から遠く離れた北海道で新生活を始めたという点は共通しています。
宇野千代にとっても札幌は新しい土地だった
宇野千代は山口県岩国で育ち、その後、京都や東京で暮らしていました。
北海道は、それまでの生活圏とは気候も文化も大きく異なる土地です。
長い汽車旅と船旅を経て札幌へ向かい、雪の多い街で生活を始めることは、大きな環境の変化だったと考えられます。
ただし、ドラマで珠が板の間から畳へ逃げる場面や、正吾から寒さについて忠告される場面が、宇野千代本人の体験をそのまま再現したものかどうかは確認されていません。
当時の北海道の気候や暮らしを、視聴者に分かりやすく伝えるための描写と考えられます。
北海道での暮らしは珠と保にどんな変化をもたらす?
東京を離れた珠と保は、札幌で新しい生活を始めます。
保は親戚の木村正吾が勤める札幌拓殖銀行で働き始め、珠も新しい人々と交流するようになります。
11月5日放送の第29回では、正吾の妻・浪江や近所の女性たちとの出会いが描かれます。
さらに、珠は浪江の勧めで自宅に仕立て屋を開くことになります。
東京では西洋料理店で働きながら、編集者や文学者たちと交流していた珠。
札幌では、裁縫の腕を生かした仕事を通じて、新しい人間関係を築いていくようです。
慣れない寒さや雪の多い暮らしには苦労するかもしれませんが、保とともに新しい日常を重ねていくことになります。
北海道という土地が、これからの二人にどのような変化をもたらすのか楽しみですね。
まとめ
『ブラッサム』で珠と保が移住した北海道・札幌へは、大正時代、汽車と青函連絡船を乗り継いで向かう必要がありました。
1919年の時刻表をもとにした一例では、上野から札幌まで34時間35分。ほぼ1日半に及ぶ長旅です。
また、札幌は東京より春の訪れが遅く、3月には雪が深く残っていることも珍しくありません。
珠が板の間の冷たさに驚き、畳へ逃げた場面には、当時の北海道の住宅事情が表れていました。
木村正吾が寒さは命に関わると忠告したのも、厳しい冬を経験してきたからこその言葉だったのでしょう。
長い旅を終え、慣れない土地で新しい生活を始めた珠と保。
二人が北海道の暮らしにどのように馴染んでいくのか、これからの展開にも注目したいと思います。
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