NHK連続テレビ小説『ブラッサム』の北海道編に登場する「頼母子講(たのもしこう)」。聞き慣れない言葉に、どんな仕組みなのか気になった方も多いのではないでしょうか。
頼母子講とは、仲間同士でお金を出し合い、集まったお金を順番に受け取る、昔ながらの助け合いの仕組みです。
ドラマでは、珠(石橋静河)と保(金子大地)が頼母子講のくじに当たり、なんと1,000円もの大金を手にする展開が描かれます。
大正時代の1,000円は、小学校教員の初任給で約18〜25か月分に相当する金額でした。
なぜ仲間同士でこれほどのお金を融通できたのでしょうか。また、頼母子講は現在の互助会や銀行とは何が違うのでしょうか。
今回は、頼母子講の仕組みや大正時代の1,000円の価値、珠と保が大金を受け取る意味について、分かりやすく解説します。
『ブラッサム』に登場する頼母子講とは?
頼母子講(たのもしこう)は、地域の人々や知人同士が集まり、定期的にお金を出し合って、まとまった資金を融通する仕組みです。
「無尽(むじん)」「無尽講(むじんこう)」とも呼ばれ、鎌倉時代から続く歴史があります。
江戸時代には庶民の間に広まり、明治・大正時代にも暮らしや商売を支える手段として利用されていました。
現在のように誰もが気軽に銀行からお金を借りられるわけではなかった時代、身近な人たちとの信頼関係が資金を調達する大切な手段だったのです。
頼母子講の基本的な仕組み
例えば、10人が集まって、毎月1人10円ずつ出す頼母子講を考えてみましょう。
- 10人の仲間が頼母子講をつくる
- 毎月、それぞれが10円ずつ出し合う
- 集まった100円を、その月に選ばれた1人が受け取る
- 翌月も全員がお金を出し、別の人が受け取る
- 全員が受け取るまで繰り返す
これは仕組みを分かりやすくするための例です。実際には、参加人数や掛金、受け取る金額、順番の決め方などは講によって異なりました。
大切なのは、全員が少しずつお金を出し合うことで、一人ではすぐに用意できない大金を使えるようにすることです。
お金を受け取る人はどうやって決める?
頼母子講では、くじ引きや入札、あらかじめ決めた順番などによって、お金を受け取る人を選びました。
くじ引きなら、参加者の誰に順番が回ってくるか分かりません。
一方、まとまった資金を急いで必要とする人が、早い順番で受け取れるように工夫した講もありました。
『ブラッサム』では、珠と保がくじに当たって1,000円を手にする展開になっています。
そのため、宝くじのような賞金と勘違いしそうですが、頼母子講は本来、仲間同士で資金を融通する制度です。
『ブラッサム』頼母子講の1000円は今のいくら?
珠と保が受け取る1,000円は、大正時代には非常に大きな金額でした。
ただし、昔のお金を現在の価値に換算するときは、何を基準にするかによって金額が変わります。
ここでは、当時の小学校教員の初任給と比較してみましょう。
大正9年の教員初任給は月40〜55円
全国町村会が紹介する資料によると、1920年(大正9年)の小学校教員の初任給は月40〜55円ほどでした。
この金額を基準にすると、1,000円は次のようになります。
| 比較する金額 | 大正時代の金額 |
|---|---|
| 小学校教員の初任給 | 月40〜55円 |
| 頼母子講で受け取る金額 | 1,000円 |
| 初任給に換算すると | 約18〜25か月分 |
つまり、当時の教員の初任給で考えると、約1年半から2年分以上の給与に相当します。
仮に現代の月給を25万円として同じ月数で比較すると、約450万〜625万円に相当する計算です。
これは給与との比較による目安であり、当時の1,000円が現在の450万〜625万円と同じ購買力を持っていたという意味ではありません。
それでも、珠と保が受け取る1,000円が、暮らしを大きく変えられるほどの金額だったことが分かります。
1000円あれば何ができた?
大正時代の1,000円があれば、住まいの確保や商売を始めるための資金など、大きな出費に充てることが考えられました。
特に札幌で新生活を始めたばかりの珠と保にとって、まとまったお金は心強いものです。
保は銀行員として働き始め、珠も自宅で仕立て屋を開きました。
二人で働きながら生活を築いているところに1,000円が入るのですから、今後の暮らしを考えるうえで大きな出来事になります。
このお金を何に使うのかも、北海道編の見どころの一つです。
頼母子講のお金はもらえるの?返済は必要?
頼母子講で受け取ったお金は、一般的な贈り物やお祝い金とは性質が異なります。
参加者がそれぞれ掛金を出し合い、まとまった金額を順番に受け取る仕組みだからです。
先にお金を受け取った人も、その後の会合で掛金を払い続けるのが基本でした。
一方、まだ受け取っていない人は、将来自分に順番が回ってくることを期待して掛金を出し続けます。
先に受け取ると借金に近い仕組みになる
例えば、10人で毎月10円ずつ出し合う頼母子講で、最初の月に100円を受け取ったとします。
その人は100円を手にできますが、翌月以降も自分の掛金を出さなければなりません。
先にまとまったお金を受け取り、後から少しずつ負担するという意味では、借り入れに近い性質があります。
逆に最後の順番になった人は、毎月お金を積み立て、最後にまとまった金額を受け取ることになります。
こうした仕組みによって、参加者同士がお互いの資金繰りを支えていたのです。
珠と保の1000円も単なる贈り物ではない
ドラマでは、珠と保が頼母子講のくじに当たり、1,000円を受け取ることになります。
そのため、浪江たちから突然大金を贈られたというより、頼母子講の仕組みによって受け取る順番が回ってきたと理解するのが自然です。
ただし、劇中の講で掛金や受け取り後の支払いがどのように定められているのかは、一般的な頼母子講の仕組みとは分けて考える必要があります。
頼母子講が単なる貯金でも寄付でもないことを知ると、この場面の意味がより分かりやすくなります。
なぜ大正時代には頼母子講が必要だった?
現在は銀行のローンやクレジットカードなど、お金を借りる方法がいくつもあります。
しかし、大正時代には金融機関を利用できる人が限られ、まとまったお金を用意するのが難しい家庭もありました。
そこで頼りにされたのが、親戚や近所の人々、商売仲間などによる助け合いです。
家を建てるときや商売を始めるときにも利用された
頼母子講で集めたお金は、住宅の建築や修理、商売の資金、農業に必要な道具の購入など、さまざまな用途に使われました。
病気や災害など、急に大きな出費が必要になった人を支える目的で開かれることもありました。
参加者は、いつか自分も助けてもらえるという信頼のもとで、お金を出し合っていたのです。
また、頼母子講の会合は、地域の人々が顔を合わせる機会にもなりました。
お金のやり取りだけでなく、人と人とのつながりを深める役割もあったのでしょう。
頼母子講は北海道だけの制度だった?
頼母子講は北海道独自の制度ではありません。
日本各地で行われており、地域によって「無尽」「模合(もあい)」など、さまざまな呼び名がありました。
北海道でも、移住者たちが新しい土地で生活を築くうえで、互いに支え合う関係は大切だったと考えられます。
『ブラッサム』の札幌では、浪江や近所の女性たちが珠を温かく迎え入れ、仕立て屋の仕事を通じて交流が広がっていきます。
頼母子講の登場も、そうした人々のつながりを描く場面の一つになっています。
頼母子講と現在の互助会は何が違う?
頼母子講と聞くと、現在の冠婚葬祭互助会を思い浮かべる方もいるかもしれません。
どちらもお金を積み立てるという共通点がありますが、目的や仕組みは異なります。
| 項目 | 頼母子講 | 冠婚葬祭互助会 |
|---|---|---|
| 主な目的 | 仲間同士で資金を融通する | 冠婚葬祭の費用に備える |
| 積立方法 | 参加者が定期的に掛金を出す | 契約に従って掛金を積み立てる |
| 受け取るもの | 原則としてまとまった資金 | 契約に応じたサービス |
| 運営 | 地域や知人同士の講 | 互助会事業者 |
現在の冠婚葬祭互助会は、戦後の1948年に誕生しました。
その仕組みには、頼母子講のように仲間同士でお金を出し合う文化が影響しています。
つまり、頼母子講は現代の互助会につながる、古くからの相互扶助の形でもあるのです。
浪江たちの助け合いが珠と保に与えたもの
北海道へ移住してきた珠と保は、まだ札幌での暮らしに慣れていませんでした。
保は東京帝国大学を辞め、親戚の木村正吾が勤める銀行で働き始めます。
一方、珠は正吾の妻・浪江(杉田かおる)の勧めで、自宅に仕立て屋を開きました。
浪江は珠の裁縫の腕前を褒め、近所の人々との交流が生まれるように気を配ってくれた女性です。
そんな浪江たちが暮らす札幌には、頼母子講のような助け合いの文化もありました。
珠と保が1,000円を受け取る出来事は、金額の大きさだけでなく、二人が新しい土地で人々とのつながりを築いてきたことを感じさせます。
赤ちゃんを亡くした悲しみを抱えて北海道へやってきた珠。
その珠が仕立て屋として人々の役に立ち、少しずつ新しい日常を取り戻していく姿と、頼母子講の助け合いの精神が重なります。
浪江の温かな人柄とともに、北海道編ならではの魅力が伝わるエピソードですね。
まとめ
『ブラッサム』に登場する頼母子講は、仲間同士で定期的にお金を出し合い、集まった資金を順番に受け取る制度です。
大正時代にも広く利用され、住宅や商売の資金、急な出費などに役立てられていました。
珠と保が受け取る1,000円は、1920年ごろの小学校教員の初任給で約18〜25か月分に相当する大金です。
ただし、頼母子講は宝くじやお祝い金とは異なり、参加者が掛金を出し合って資金を融通する仕組みでした。
浪江をはじめ、札幌で出会った人々に支えられながら、新しい暮らしを始めた珠と保。
頼母子講のエピソードからも、当時の人々が互いに助け合いながら生活していた様子が伝わってきます。
『ブラッサム』関連記事
珠の生い立ちや家族についても紹介しています。

コメント