2023年公開の映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』では、特攻隊員やヒロイン・百合だけでなく、町の人々や脇役たちの温かな人間模様も物語の魅力のひとつ。なかでも“鶴屋食堂”の「鶴さん」は、戦時下の混乱の中で人々を支え続けた名脇役として多くの視聴者の心に残っています。この記事では、鶴さんのキャラクターや作中での役割、鶴さんのモデルとなった人物、読者に託された余韻の意味を考察します。
鶴屋食堂・鶴さんとはどんな人物?
鶴さんは、百合が戦時中の世界で出会う、町の『鶴屋食堂』の女将さん。
食堂を切り盛りしながら、特攻隊員や町の子どもたち、見ず知らずの百合にも温かくご飯をふるまい、明るく優しい言葉で勇気づける姿が印象的です。戦争という過酷な現実のなかでも「普通の毎日」を守り、人々の拠り所であり続けた鶴さんの存在は、物語の癒やしにもなっています。
特攻隊員の母的存在
鶴さんは特攻隊員たちの母的な存在で、美味しい食事を振る舞い、精神的にも支えてきました。
特攻に旅立つ隊員が家族や大切な方に贈る最後の手紙を託されるシーン、いかに鶴さんが彼らから信頼されていたかが分かります。当時、特攻は機密情報とされていたので情報が漏洩しないように彼らが個人的なこと、本心を手紙に綴り家族に知らせることは出来ませんでした。最後の手紙、これを受取り代理で家族に送る。鶴さんが彼らにしてあげられる最後の思いやりだったのです。
鶴さんは実在した方がモデルになっている
鹿児島県知覧市はかつて最南端の特攻基地がありました。ここで『富谷食堂』を営んでいた鳥濱トメさんがモデルとなっています。自分の着物や家財道具を売り、特攻隊員たちのために出来る限りのおもてなしをし、特攻隊員たちから「母」として慕われていました。
鳥濱トメさんは特攻隊員たちを我が子のように慈しみ、彼らの出撃を見送り、その様子を家族に知らせたとのこと。その愛情の深さに心打たれます。
鳥濱トメさんは終戦後も特攻隊員たちの想いを忘れることなく、1992年に亡くなるまで特攻の悲惨さを後世に伝えるべく大空に散った若者たちの慰霊をしていました。
鶴さんの“その後”は描かれていない理由
原作・映画ともに、鶴さんが戦後どうなったのか、店は続いたのか、百合と再会したのか――そうした“その後”は一切描かれていません。
これは、戦時下の多くの人々が名もなきまま時代に飲み込まれた現実や「生き抜いてほしい」「幸せでいてほしい」という読者の祈りを託す“余韻”とも言えるでしょう。
また、鶴さんが守り続けた「人と人がつながる温かさ」は百合や彰、読者の心にも静かに残り続けています。
その思いは間違いなく百合に伝わり、現代に帰ってきた百合は母への感謝を素直に言葉に出来るようになりました。
鶴さんの役割・“もうひとつの家族”の象徴
鶴屋食堂は、ただのご飯屋ではありません。食を通して地域や特攻隊員、子どもたちの“心のよりどころ”となり、家族のような絆を生み出していました。
鶴さんの“みんなを思いやる姿勢”は、主人公・百合が「人と人とのつながりの大切さ」を学ぶきっかけにもなっています。
まとめ:鶴さんは永遠に特攻の母
鶴屋食堂の鶴さんは直接的な結末が描かれていません。ただ、モデルの鳥濱トメさんは終戦後も特攻の母として活動しています。鶴さんも同じようにあの優しい笑顔で亡くなった彰たちの魂が安らかであることを祈り続けたのだと思います。突然居なくなった百合の幸せも願いながら・・・