『バケモノの子』九太を人間に戻した存在の楓、いらないと言われる理由を徹底考察!

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細田守監督の『バケモノの子』に登場する楓という少女。
物語の終盤に登場する新キャラクターでありながら「出番が少ない」「物語に必要だったの?」といった声も少なくありません。
しかし、楓の存在は物語の核心である人間としての九太の再生を支える重要な意味を持っています。
この記事では、楓が「いらない」と言われる理由と彼女が果たした本当の役割について考察します。


なぜ楓はいらないと言われるのか

まず、ネット上で「楓はいらない」と言われる主な理由は次の3つです。

  • 登場時期が遅く、物語の途中から突然出てくる印象がある
  • 熊徹や一郎彦の物語が中心で、楓の関わりが薄く感じられる
  • 恋愛要素として入れられたように見える

確かに楓の登場は物語の後半、九太が高校生になってからです。
渋天街での壮大な師弟ドラマを見た後だと、現実世界での静かなシーンに違和感を持つ人もいるでしょう。
しかし実際のところ、楓の役割は恋愛相手ではなく、九太を現実へ導く案内人だったのです。


九太が人間として生き直すためのきっかけ

九太は渋天街で熊徹と過ごす中で「強さとは何か」を学びました。
けれども、彼の中にはまだ解決していない問題が残っていました。
それは、自分の出自――つまり、人間としてどう生きるかということです。

楓との出会いは、その問いに答えるためのきっかけでした。
彼女は進学校に通う優等生でありながら、家庭の問題を抱えていました。
表面上は何でもそつなくこなす彼女ですが、心の奥には「本当の自分を理解してもらえない」という孤独を持っていたのです。

九太と楓は、互いの孤独を知ることで心を通わせていきます。
そして楓の言葉が、九太の心に「人としての感情」を再び灯しました。


図書館のシーンが象徴する【知と感情の融合】

楓と九太の象徴的な場面といえば図書館のシーンです。
知識を通して世界を広げる楓と、体験を通して世界を知った九太。
二人の出会いは、理性と本能、知と感情という対照的な価値観の融合を表しています。

熊徹との修行で「心で戦う強さ」を学んだ九太が、楓との出会いで「言葉で通じ合う強さ」を知った。
これは、バケモノの世界から人間社会へ戻るための最終段階でした。


楓は熊徹の代わりではない

一部では、楓が熊徹亡き後の支え役として登場したと言われますが、彼女の役割はそれ以上に深いものです。
楓は九太に「怒りや孤独と向き合う力」を与えました。
それは熊徹が教えた「拳の強さ」ではなく「心を言葉にする強さ」。
つまり彼女は、熊徹が教えきれなかった「もう一つの強さ」を九太に教えた存在なのです。


楓の存在が示す人とのつながりの大切さ

渋天街という閉ざされた世界で成長した九太にとって、楓との出会いは外の世界を知るきっかけでした。
彼女と出会い、心を通わせたことで、九太は初めて「他人に助けを求める」ことを学びます。
熊徹の教えを力の信念だとすれば、楓は共感の信念を与えた存在でした。

九太が最後に人間界で生きる決意をしたのは、熊徹と楓という二人の存在があったからこそ。
バケモノの世界と人間の世界をつなぐ架け橋、それが楓の本当の役割だったのです。


まとめ

楓が「いらない」と言われるのは、彼女の出番が少なく、物語の中心にいないからでしょう。
けれども彼女は、九太が渋天街で得た力を現実世界で生かすために欠かせない存在でした。
熊徹が父として九太を育てたなら、楓は社会の中で生きる人間としての感情を取り戻させた少女です。

楓は決していらないキャラクターではありません。
むしろ、彼女がいたからこそ九太は本当の意味で「人間として生きる」ことを選べたのだと思います。


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