NHK朝ドラ『ブラッサム』を見ていると、何度も印象的に登場する美しい橋があります。
山口県岩国市を代表する名所「錦帯橋」です。
もちろん物語の舞台が岩国なので、錦帯橋が登場すること自体は不思議ではありません。
しかし『ブラッサム』では、単なる「岩国らしい風景」として錦帯橋を映しているわけではないようです。
実際、制作統括の村山峻平さんは、錦帯橋について「宇野千代さん、そして主人公・葉野珠の人生そのもの」だと語っています。
錦帯橋は5つのアーチが連なる橋です。
橋を渡るためには、勾配を上り、下り、また上る。その繰り返しで向こう岸へたどり着きます。
結婚、離婚、恋愛、仕事、挫折を繰り返しながら、それでも自分で人生を選び続けた宇野千代。
そして、その人生をモデルに描かれる葉野珠。
そう考えると『ブラッサム』の錦帯橋は、故郷を示すだけでなく、珠がこれから歩いていく人生そのものを象徴する場所として置かれていることが見えてきます。
『ブラッサム』に登場する橋は岩国の「錦帯橋」
『ブラッサム』に登場する特徴的な5連の橋は、山口県岩国市を流れる錦川に架かる錦帯橋です。
5つのアーチが連なる独特な姿で知られ、岩国を代表する名所となっています。
主人公・葉野珠のモデルである宇野千代は1897年、岩国に生まれました。
宇野千代の生家も錦帯橋から徒歩圏内にあり、錦帯橋は千代にとって子どもの頃から身近な存在でした。
実際、宇野千代の人生には錦帯橋にまつわるエピソードも残っています。
最初の結婚をした頃には、学校から嫁ぎ先へ帰るために錦帯橋を通っていたとされています。
つまり錦帯橋は、後世になって「宇野千代ゆかりの場所」になったのではありません。
少女だった千代が実際に見て、歩き、その後の人生でも故郷・岩国とともに心に残り続けた橋なのです。
制作統括が明かした「錦帯橋=珠の人生」という意味
『ブラッサム』における錦帯橋の意味を考えるうえで、とても重要な言葉があります。
制作統括の村山峻平さんは、岩国ロケについて語った際、錦帯橋がドラマの中でも重要な場所になることを明かしています。
そして、錦帯橋の特徴である「急な勾配を登って下る」という動きを何度も繰り返す構造について、宇野千代、そして葉野珠の人生そのものだと感じたと語っています。
これはかなり重要な発言です。
つまり「錦帯橋が珠の人生を象徴している」というのは、視聴者側だけの深読みではありません。
制作側も、錦帯橋と珠の人生を重ねているのです。
しかも村山さんは、橋を上るときも下るときも最初の一歩は怖いこと、そこから自分で決めた道へ踏み出していくことが『ブラッサム』のテーマだとも語っています。
ここまで分かると、錦帯橋を見る目が変わってきます。
なぜ普通の橋ではなく「5連の錦帯橋」なのか
橋というモチーフだけでも、「こちら側から向こう側へ行く」という変化を表すことができます。
しかし錦帯橋は、まっすぐ平坦に向こう岸へ渡る橋ではありません。
上って、下りる。
そしてまた上る。
それを繰り返しながら前へ進んでいきます。
宇野千代の人生も、決して平坦ではありませんでした。
故郷を離れ、結婚と離婚を経験し、恋愛をし、小説家として成功する一方で挫折も経験しています。
一つの出来事が終われば、また次の出来事が始まる。
それでも立ち止まらず、そのたびに自分で次の一歩を踏み出してきました。
だからこそ、5つのアーチを越えていく錦帯橋が珠の人生と重なるのでしょう。
重要なのは、人生には「上り」だけではなく「下り」もあるというところです。
下ったから終わりではない。
その先にはまた上りがあり、橋そのものは向こう岸まで続いています。
『ブラッサム』という物語が描こうとしている珠の強さも、失敗しないことではなく、何かが起きるたびにもう一度踏み出すところにあるのではないでしょうか。
少女の珠と85歳の珠を錦帯橋がつないでいる
『ブラッサム』では、物語の早い段階から錦帯橋が印象的に使われています。
少女時代の珠が弟たちと錦帯橋を渡る姿が描かれる一方、1982年には85歳になった珠が故郷・岩国を訪れ、再び錦帯橋のそばに立っています。
この配置がとても面白いところです。
少女の珠にとって、錦帯橋は毎日の暮らしの中にある橋でした。
まだこの先、自分がどんな人生を歩むのか知りません。
ところが85歳の珠は違います。
結婚も、恋愛も、仕事も、成功も失敗も経験したあとで、再び同じ橋の前に立っています。
少女時代の珠と、人生の大半を歩き終えた珠。
その両方の時間に同じ錦帯橋が存在しているのです。
珠は変わっていきます。
周囲の人も変わり、時代も変わります。
それでも故郷の橋はそこにある。
『ブラッサム』における錦帯橋には、珠の人生を象徴すると同時に、珠の「始まり」と「帰る場所」をつなぐ役割もあるように感じます。
宇野千代にとって錦帯橋は「自慢してもしきれない」大切な橋だった
錦帯橋への思いは、ドラマの演出だけではありません。
モデルとなった宇野千代自身も、錦帯橋に強い愛着を持っていました。
岩国市が公開している宇野千代の特設サイトでも、錦帯橋は千代が大好きだった場所として紹介されています。
千代は18歳の頃、故郷から逃げるように岩国を離れました。
ところが、故郷との縁を切ったわけではありません。
後年には岩国を舞台とした作品を書き、晩年になると帰省して生家で過ごす時間を楽しむようになりました。
さらに晩年の手紙には、故郷・岩国の錦帯橋について、日本中に自慢してもしきれないほど大切な橋だという趣旨の言葉を残しています。
人から出身地を聞かれると、「岩国」と答えるだけではなく、錦帯橋のある岩国だと伝えていたともいわれています。
若い頃には逃げるように離れた故郷を、晩年には誇らしげに語る。
ここにも宇野千代らしい人生の面白さがあります。
錦帯橋は「故郷から出る橋」であり「故郷へ帰る橋」でもある
宇野千代と岩国の関係を知ると、『ブラッサム』の錦帯橋にはもう一つの意味が見えてきます。
珠はこれから岩国だけで人生を終える女性ではありません。
父や家に人生を決められていた少女が、やがて自分の意思で外の世界へ出ていきます。
その意味では、錦帯橋は「故郷から外へ向かう橋」と見ることができます。
ところが物語では、85歳になった珠が再び岩国へ戻ってきます。
すると同じ橋が今度は「故郷へ帰ってくる橋」にも見えてきます。
若い珠には出発を、老いた珠には帰郷を感じさせる。
一つの場所が、人生のどの地点から見るかによってまったく違う意味を持つのです。
実際の宇野千代も、若い頃には故郷を離れながら、晩年には岩国への愛着を強く表すようになりました。
だからこそ『ブラッサム』の冒頭から晩年の珠と錦帯橋を組み合わせたことには、大きな意味があるのでしょう。
「父からの、解放」と錦帯橋もつながっている?
第2週のタイトルは「父からの、解放」です。
珠は幼い頃から父・清治の強い影響を受けて育ちました。
父が決めたことに逆らうことができず、結婚についても自分の意思だけでは決められません。
しかし清治との別れは、珠の人生を大きく変えることになります。
ここで錦帯橋の「最初の一歩」という意味が効いてきます。
父の言う通りに歩いていた珠が、自分で行き先を決める。
誰かに渡らされるのではなく、自分で橋の向こうへ踏み出す。
それこそが「父からの、解放」の先に始まる珠の人生なのではないでしょうか。
もちろん、ドラマの中で「錦帯橋=父からの解放」と明言されているわけではありません。
ただ、制作側が錦帯橋と「自分で決めた道を自分で踏み出す」というテーマを重ねていることを考えれば、珠が人生の節目を迎える場面で橋がどのように使われるのかは、今後も注目したいところです。
「橋を渡る珠」に注目すると『ブラッサム』がもっと面白くなる
『ブラッサム』では、これからも錦帯橋が登場する可能性があります。
そのとき注目したいのが、単に「錦帯橋が映ったか」ではなく、珠がどんな人生の場面で橋を渡っているのかです。
何かを決断したとき。
誰かと別れたとき。
岩国を離れるとき。
そして故郷へ戻ってきたとき。
もし珠の大きな転機と錦帯橋が繰り返し重ねられるなら、橋は物語の進行を知らせる一つのサインになっていくかもしれません。
しかも錦帯橋には上りと下りがあります。
珠に幸せな出来事が起きるときだけが「前進」なのではありません。
恋愛に破れたり、結婚生活が終わったり、仕事で苦しい思いをしたりすることも、長い人生という橋の途中にある一つの坂なのでしょう。
下っているように見えるときも、珠は前へ進んでいる。
この見方をすると、これから珠に起きる波乱も少し違って見えてきます。
まとめ
『ブラッサム』に登場する錦帯橋は、単なる岩国の観光名所ではありません。
制作統括の村山峻平さん自身が、急な勾配を何度も上り下りする錦帯橋を、宇野千代と葉野珠の人生そのものだと語っています。
上って、下りて、また上る。
そのたびに必要なのが、自分の足で踏み出す最初の一歩です。
父のもとで生きていた少女時代の珠。
故郷を離れ、自分で人生を選んでいく珠。
そして数々の出来事を乗り越え、85歳になって再び故郷へ戻ってくる珠。
そのすべてを見守るように、錦帯橋があります。
モデルとなった宇野千代自身も、若い頃には岩国を離れながら、晩年には錦帯橋を大切な故郷の象徴として愛していました。
「ブラッサム」の錦帯橋は、珠がどこから来て、どこへ進み、最後にどこへ帰るのかをつなぐ橋。
これから錦帯橋が登場したときには、その場面の珠が「人生のどの坂を歩いているのか」に注目すると、『ブラッサム』がさらに面白くなりそうです。


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