『鬼滅の刃』に登場する上弦の参・猗窩座(あかざ)の人間時代の名前が「狛治(はくじ)」であることは、ファンの間では広く知られています。しかし、その読みや漢字の意味にはどこか謎めいた印象もあり、「なぜこの名前なのか?」と気になる人も多いはず。この記事では、「狛治」という名に込められた意味や由来を考察し、その背景にあるキャラクターの深層心理にも迫ります。
「狛治」の読みはなぜ“はくじ”なのか?
「狛」の読み方は通常「こま」とされることが多く、狛犬(こまいぬ)などの言葉でも知られています。一方「治」は「じ」「ち」「おさむ」など複数の読み方がありますが、名前において「治」を「じ」と読むのは一般的です。「狛治」を“はくじ”と読むのはやや特殊で、これはあえて常用読みから外れた「当て読み」に近いものだと考えられます。
この“はくじ”という響きには、どこか潔癖さや純粋さ、儚さを感じさせる要素があり、悲劇的な運命を背負った狛治というキャラクターに相応しい響きを持っています。
「狛」の漢字が意味するもの
「狛」という字には「外来のもの」「渡来人」などの意味があり、古代日本に渡ってきた文化や人々を象徴する漢字でもあります。狛犬の「狛」も、外からやってきて神を守る存在とされており、“守護”や“孤独”を感じさせる象徴でもあります。狛治もまた、孤独に生き、誰かを守りたくて戦い続けた存在であることから、この字には彼の生き様が重ねられているように思えます。
「治」の漢字が象徴するもの
「治」は、「治める」「癒す」「穏やかにする」といった意味があり、混乱や傷を鎮めるイメージを持つ漢字です。病気の父を治したいと願った狛治の過去や、病に苦しむ恋雪を献身的に支えた姿には、「癒し」や「回復」を願う優しさが表れています。「治」の文字は、そうした彼の人間性を端的に表す漢字だと言えるでしょう。
名付けの意図は“本来の自分”を表すもの?
鬼になった後は「猗窩座」と名乗るようになりますが、「狛治」という名前は、人間としてまっすぐに生きようとした“本来の自分”を象徴しています。鬼舞辻無惨によって与えられた「猗窩座」という名に対し、「狛治」は生前に自分の意志で生きていた証とも言える名前です。読者や視聴者がこの名前に特別な感情を抱くのは、そこに“人間らしさ”が宿っているからでしょう。
まとめ:名前が語る、狛治の純粋な心と悲しみ
「狛治」という名には、守りたかったもの、癒したかった人、自分の弱さへの怒りと哀しみが込められているように感じられます。ただの名前ではなく、彼の人生そのものを映す鏡。それは鬼となったあとも心の奥底に残り続け、読者の心に静かな感動を呼び起こすのです。
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