映画『国宝』の中で印象的なシーンの一つが、喜久雄の父親が抗争で殺され、その敵討ちを試みる場面です。喜久雄は兄のように慕う徳治と共に、父を殺した相手のもとへ向かいます。徳治は拳銃を、喜久雄はドス(短刀)を手にして。しかし、映画ではこの敵討ちの詳細や結果についてほとんど語られず、観客は「どうなったのか?」という余韻を残されたままです。
映画での描写
映画では、父親が抗争で命を落とすという事実と、その後の喜久雄と徳治の行動のみが短く映し出されます。二人が武器を手にして乗り込むカットはありますが、発砲や斬り合いといった具体的な描写は省略され、敵討ちが成功したのか失敗したのかは明らかにされませんでした。
この敵討ちの1年後、半次郎に引き取られた際に会話の中で『敵討ちは失敗した』と苦笑いで答える喜久雄。この演出は、暴力シーンの直接描写を避けると同時に、観客に想像の余地を残す作りになっています。
原作での設定と経緯
原作小説『国宝』では、このエピソードは映画とは異なる背景を持っています。父親は立花組の組長として抗争に巻き込まれ命を落としますが、その死には複雑な因縁や裏切りの要素も絡み、単純な報復では済まない事情が描かれています。徳治と喜久雄は血気にはやって敵のもとへ向かいますが、周囲の妨害や相手側の警戒の高さもあり、結果的に命を奪うには至りません。
この時、徳治が拳銃を選び、喜久雄がドスを持ったのは象徴的です。徳治は実行力と破壊力を示す一方で、喜久雄はより直接的で「手で決着をつける」覚悟を象徴しているとも取れます。
敵討ち失敗の理由
原作では、敵討ちが失敗した要因として、相手の防備の固さや、二人がまだ若く経験不足だったことが挙げられます。この未遂事件は、喜久雄にとって「力だけでは何も変えられない」という現実を突きつける出来事となりました。以降、喜久雄は暴力と芸の世界の両方で生きる道を模索し、歌舞伎役者としての道を深めていきます。
映画と原作の違い
映画版ではこのシーンを短く切り取り、詳細を語らないことで、観客の想像力を喚起する構成になっています。一方、原作では敵討ち未遂が喜久雄の価値観形成に与えた影響が丁寧に描かれており、この経験が後の彼の人間関係や舞台への情熱にもつながっていくことがわかります。
まとめと考察
父親の死と敵討ち未遂は、喜久雄の人生における大きな転機でした。徳治という兄貴分との絆がより深まった一方で、暴力の限界と報復の虚しさを知るきっかけにもなったのです。映画では省略されているこの背景を知ることで、喜久雄という人物像がより立体的に見えてきます。原作と映画の両方を楽しむことで、このシーンに込められた意味の深さをより味わえるでしょう。
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