細田守監督の『竜とそばかすの姫』において、主人公すずが歌う仮想世界「U」のステージに、度々、巨大なクジラが空を泳ぐように現れます。
このクジラは、観客を魅了する美しい演出であると同時に、物語の核心である主人公すずの「母親の死」という深いトラウマと、その克服、そして「救済」のテーマを象徴しています。なぜ、歌姫ベルのステージに「クジラ」が現れるのか、その隠された意味を考察します。
クジラが象徴する「水のトラウマ」と「母性」
クジラは海や水と密接に関わる生き物であり、すずの過去の悲劇である「水害(川の増水)」と、深い関係性を持っています。
- 水のトラウマの具現化 すずの母親は、川の増水で流されそうになった子供を助けようとして命を落としました。すずの心には、水、そして水難という形で、母親を失った深いトラウマが刻まれています。クジラは、その「水」のイメージを具現化した、美しくも危険な、トラウマの象徴として現れます。
- 巨大な包容力を持つ「母性」 一方で、クジラはその巨大さから、すべてを包み込む「母性」や「無意識の深層」を象徴することもあります。ベルの歌声とともに現れるクジラは、母親を亡くしたすずの、心の中で失われた「安心感」や「母親の愛情」を求めている内なる願望の現れとも解釈できます。
歌声によって「水を克服」する象徴
クジラは、ベルが歌うとき、特にその感情が最高潮に達したときに登場します。これは、すずが歌によってトラウマを乗り越えようとしているプロセスを示しています。
- 水の中を「泳ぐ」自由 クジラが「U」の空を自由に泳ぎ回る姿は、現実世界の水難というトラウマに囚われていたすずが、仮想世界という表現の場を得て、そのトラウマから「解放され、自由に泳いでいる」状態を象徴しています。
- 歌がトラウマを昇華させる すずは、歌うことを通じて、母親を失った悲しみや罪悪感を昇華させています。クジラは、その歌という行為によってトラウマを乗り越えるエネルギーが、巨大な生物として視覚化されたものと言えます。
他者を救済する「希望」の象徴へ
物語が竜の救済へと向かうにつれて、クジラの役割も変化し、単なるトラウマの象徴から、他者を救う「希望」の象徴へと昇華されます。
- 竜の城とクジラ 竜の住む城は、彼の現実の傷やトラウマを隠すための「避難所」です。その城の周りをクジラが泳ぐことは、すず(ベル)の歌声と、彼女が抱える「母親の愛の記憶」こそが、竜の抱える暴力の傷を癒やし、救済へと導く力になることを示唆しています。
- 救いの歌の視覚化 最終的にすずが現実の姿を晒して歌う救済の歌は、クジラという巨大な希望を伴って、傷ついた世界全体に響き渡ります。クジラは、すずの母親が命がけで示した「献身的な愛」が、時を超えて別の形で竜を救う力になったことを象徴しています。
まとめ
『竜とそばかすの姫』に登場するクジラは、すずの心に深く刻まれた「水のトラウマ」と、失われた「母親の愛」という二重の意味を持っています。
このクジラは、すずが歌という行為を通じて、母親の死という悲しみから解放され、そのトラウマを乗り越えることで得た巨大なエネルギーの視覚化です。細田監督は、クジラを通じて、過去の傷を乗り越えて表現された愛こそが、他者の深い孤独やトラウマをも救済し得る、最も強い力となるというメッセージを伝えているのです。
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