『キングダム』の嬴政=始皇帝は本当に暴君だった?焚書坑儒・不老不死伝説から見る真実

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『キングダム』の嬴政と史実の始皇帝は同一人物?

『キングダム』に登場する嬴政(えいせい)は、実在の歴史人物「秦の始皇帝(しこうてい)」がモデルです。

作中では中華統一を志す“理想の王”として描かれ、信や王騎らと共に戦乱の世を変えようとします。

一方で、史実における嬴政=始皇帝は「中国史上初の皇帝」として有名ですが、
“暴君”というイメージも根強く残っています。

果たして、彼は本当に残酷な支配者だったのでしょうか?
それとも誤解された改革者だったのでしょうか?

始皇帝はなぜ“暴君”と呼ばれるのか?代表的エピソード

始皇帝が「暴君」として語られる背景には、いくつかの有名な史実があります:

  • 豪華な阿房宮(あぼうきゅう)の建築で民を酷使
  • 道路・長城建設に大量の労働者を動員し、多くの死者を出した
  • 死後も権力を維持しようとした過剰な権力欲

これらの行為は、当時の人々にとって圧政・恐怖政治と映ったことでしょう。

また、後世の儒家によって否定的に語られた影響もあり、
始皇帝は「最初の皇帝であり、最初の暴君」として歴史に記録されました。

焚書坑儒とは?思想弾圧か、合理的な国家政策か

始皇帝の「暴君イメージ」を決定づけたのが、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)です。

  • 焚書:儒家思想など、法家に反する書物を焼き払った
  • 坑儒:皇帝を批判した儒学者たちを生き埋めにしたとされる

ただし、近年の研究では「儒学者全体ではなく、一部の過激派に対する処罰だった」とも言われています。

また、法治国家を築くうえで「思想の統一」が不可欠だったという見方もあり、
「弾圧」と「国家安定のための改革」のどちらとして捉えるかは、評価が分かれるところです。

不老不死を求めた皇帝──伝説か、それとも現実か

始皇帝には「不老不死の薬」を探させたという伝説もあります。

徐福(じょふく)という人物を日本に派遣したという話は有名で、
その航海が失敗したことに怒った始皇帝が処罰したという逸話も伝えられています。

これらは史実に基づく部分もありますが、多くは後世の創作や脚色とされる説も有力です。

とはいえ、始皇帝が「永遠の国家」と「不老の身体」を願っていたのは確かで、
その欲望の強さ=暴君の証拠と語られることも少なくありません。

『キングダム』の嬴政はなぜ“理想の王”として描かれるのか?

一方で、『キングダム』における嬴政は、民を想い、国を変えようとする“理想の王”として描かれています。

漂の死を乗り越え、信や昌文君、王騎たちと共に歩む姿は、読者や観客の共感を呼びます。

これは、「始皇帝=暴君」という一面ではなく、「理想を抱いた若き王」という側面に焦点を当てているからです。

フィクションとしての『キングダム』は、歴史の事実とともに、
「人間・嬴政」の成長や孤独、信念に光を当てているのです。

まとめ|暴君か改革者か──あなたが信じる嬴政とは?

嬴政=始皇帝は、確かに厳しい政策を推し進めた人物でした。

しかしその背景には、「戦乱を終わらせたい」「国家をひとつにしたい」という強い願いがあったのかもしれません。

歴史は、勝者によって語られ、
フィクションは、理想によって描かれる。
暴君か、改革者か──それを決めるのは、
私たちの“まなざし”なのかもしれません。


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