嬴政とはどんな人物?『キングダム』の中の姿
『キングダム』に登場する嬴政(えいせい)は、若き秦王として中華統一を目指す“理想と覚悟”を併せ持つ人物です。
冷静な判断力と強い信念を持ち、信や昌文君などの仲間たちとともに、乱世の中でまっすぐに王道を歩もうとします。
王騎や呂不韋との駆け引きの中でも揺るがない姿勢を見せ、物語の核となる“統一国家”というビジョンを語るキャラクターです。
始皇帝・嬴政は実在した?史実の基本プロフィール
結論から言うと──嬴政は実在した人物であり、後に「始皇帝(しこうてい)」として歴史に名を刻みました。
彼は紀元前259年、秦の荘襄王の子として生まれ、13歳で即位。
その後、様々な政敵を退けて権力を握り、紀元前221年に中国史上初の統一国家「秦」を建国します。
「皇帝」という称号も、嬴政が自ら名乗ったものが始まりです。
『キングダム』と史実の違い① 幼少期と王位継承の背景
『キングダム』では、嬴政の少年時代に焦点が当たり、漂(ひょう)との関係や、成蟜(せいきょう)との王位争いが物語の軸となっています。
一方、史実では嬴政の幼少期は「趙」で人質として過ごしたとされ、詳細な記録は少ないものの、非常に過酷な状況だったといわれています。
また、成蟜の反乱は史実にも登場しますが、『キングダム』のような双子の入れ替わりや信との出会いはフィクションの要素です。
『キングダム』と史実の違い② 信との関係・戦場への出陣
物語では、嬴政と信(しん)は共に中華統一を目指す同志として描かれます。
しかし史実における嬴政と「李信(りしん/信のモデルとされる将軍)」との関係は不明確で、感情的な絆や個人的な会話の記録はありません。
また、嬴政が自ら戦場に赴くシーンも『キングダム』特有の演出です。
史実上の嬴政は、政治や法制度の整備を重視し、主に宮廷内から国家を動かした存在でした。
始皇帝としての功績と晩年|史実の偉業とは?
史実の嬴政、すなわち「始皇帝」は、統一後に以下のような改革を行いました:
- 度量衡(どりょうこう:単位)・文字・貨幣の統一
- 法治国家としての統一法令の施行
- 全国の道路・軍事施設・長城の整備
これにより国家としての統一感と効率化を実現し、中国史における初の「中央集権国家」を築きました。
ただし晩年には、「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」など思想弾圧的な側面も強まり、
「暴君」としても記録に残る複雑な評価がされる人物でもあります。
まとめ|フィクションとしての魅力と史実の重み
『キングダム』の嬴政は、史実の始皇帝をベースにしながら、
「理想に生きる若き王」として読者に共感されるよう大きく脚色された存在です。
史実では見えにくい感情や覚悟、信との友情などが描かれることで、フィクションならではの魅力が際立っています。
歴史に名を刻んだ“始皇帝”と、物語で心を動かす“嬴政”。
どちらも、中華統一という壮大な夢を背負った男であることに変わりはありません。
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