細田守監督の『竜とそばかすの姫』の舞台となる仮想世界「U」(ユー)は、ユーザーが現実の肉体情報から生成される「As(アバター)」を使い、匿名で活動する巨大なインターネット空間です。
この「U」は、単なるSF的な舞台装置ではなく、私たちが生きる現代のインターネット社会が抱える「匿名性」「表現の自由」「規制」という重要なテーマを映し出しています。ここでは、「U」のアバターが持つ意味と作中で示唆されるインターネットの倫理について考察します。
アバター(As)が持つ「現実の裏返し」という意味
「U」にログインする際に、現実の身体情報をスキャンして生成されるアバター「As」は、ユーザーが現実で抑圧されている願望や、隠している内面を映し出します。
- すずとベル:理想の自分と現実の自分 現実で人前で歌えないすずは、仮想世界で完璧な歌声を持つ「ベル」という美女になります。ベルは、すずが現実で失った「自信」と「声」を体現した、すずの理想の姿です。
- 竜:傷を隠すための「鎧」 一方、竜のアバターは、全身に傷を負った恐ろしい姿です。これは、竜の現実の正体(恵)が抱える「暴力によるトラウマや心の傷」を隠し、同時に他者を寄せ付けないための「防御(鎧)」として機能しています。
アバターは、現実の欠点を克服する「解放の道具」であると同時に、傷を隠して匿名性に逃げ込む「隠れ蓑」の両方の意味を持っているのです。
「匿名性」がもたらす自由と暴力
「U」は、匿名性が担保されていることで、すずのように現実で息苦しさを感じている人々に表現の自由を与えます。しかし、その匿名性は同時に、現実世界と同じ、あるいはそれ以上の「暴力」を生み出します。
- 誹謗中傷と炎上: ベルの存在はすぐに注目を集めますが、正体を暴こうとするユーザーや、彼女のパフォーマンスを批判する声も噴出します。これは、現代のインターネットにおける誹謗中傷や「炎上」といった現象を象徴しています。
- 「正義」の名の下の私刑: 竜が人々に恐れられ、その正体を暴こうとする人々(ジャスティンたち)に執拗に追いかけられるのは、インターネット上で見られる「匿名で過熱する私刑」を鋭く批判しています。
「5人組」と「規制」が問うインターネットの倫理
作中に登場する仮想世界の管理者である「5人組(5人の賢者)」は、匿名で活動する竜の正体を暴き、彼を「U」から排除しようとします。
- 誰がインターネットを管理するのか? 5人組は、インターネットの秩序を守る「規制」の必要性を象徴しています。しかし、彼らの行動は「正義」ではなく「権威」による支配にも見えます。細田監督は「誰が、どのような基準でインターネットの自由を規制するのか」という、極めて現代的で難しい問いを投げかけているのです。
- 結論:真実の「自己開示」による救済 最終的に、ベル(すず)が竜の傷に向き合い、自らの顔と歌声をさらけ出す(現実を表現する)ことで、彼は救済されます。これは、匿名性の中で傷つけ合うのではなく、真実の自分を勇気を持って開示し、共感によって繋がることが、インターネット時代の課題を解決する鍵であるというメッセージです。
まとめ
仮想世界「U」とそこで使われるアバター「As」は現代社会のインターネットが持つ光と影を象徴しています。
アバターは、現実のコンプレックスから解放され、自己を表現する道具である一方で、匿名性を利用した暴力や炎上を生み出す温床でもあります。細田監督は、5人組による「規制」ではなく、ベルが自らの真実の姿を晒し、傷ついた他者へ共感の歌を届けるという行為を通じて、インターネット時代の課題を解決する鍵を示しました。
それは、匿名性に逃げ込むのではな、勇気を持って自己を開示し、真実の繋がりを求めることこそが、仮想世界と現実世界の両方を救済する道であるというメッセージです。
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