映画『E.T.』に登場する子供たちは、純粋な心でE.T.を守ろうとします。一方でE.T.を執拗に追う政府の科学者や工作員たちは、まるで悪役のように描かれています。特にキーを首からぶら下げた男(通称「キー」)は、子供たちにとって最大の恐怖の対象でした。
彼らは本当に「悪者」だったのでしょうか?彼らがE.T.を追った理由を深掘りすることで、この物語が描く「科学」と「感情」の対立構造が浮かび上がってきます。
なぜ大人たちはE.T.を追ったのか?
大人たちがE.T.を捕獲しようとしたのは、子供たちを脅かすためではありませんでした。彼らは、地球に飛来した未知の生命体であるE.T.を「人類の安全を脅かす存在」だと判断したのです。
彼らの行動は、自国や世界の安全を守るという、彼らなりの「正義」に基づいています。彼らにとって、E.T.は感情を持った友達ではなく、分析・研究すべき「生命体」でした。彼らは、その正体や能力を解明し、もしもの事態に備えようとしていたのです。
彼らは、子供たちがE.T.と友情を育んでいるなどと到底、理解できませんでした。大人たちの心は長年の経験や知識によって、疑いや恐怖に満ちており純粋な心で未知の存在を受け入れることができなかったのです。
恐怖の象徴「キー」の正体
E.T.を追う政府のチームを率いる、キーを首から下げた男は、子供たちにとって最大の恐怖の対象でした。しかし、彼は本当に悪者だったのでしょうか?
物語の終盤、彼はE.T.を「ずっと待っていた」と語ります。このセリフから、彼は長年にわたって宇宙からの生命体を待ち望んでいた、孤独な科学者だったことが示唆されます。彼にとってE.T.は、長年の研究の集大成であり人類の未来を解き明かす鍵でした。
彼は子供たちの友情を理解できませんでしたが、E.T.との別れを悲しむエリオットの姿を見て、初めて自分の行いが何だったのかを悟ったのかもしれません。
科学と感情、異なる正義の対立
『E.T.』は、科学と感情、異なる二つの「正義」の対立を描いています。
- 子供たちの正義: 純粋な心で友情を育み、友達を守るという感情的な正義。
- 大人たちの正義: 秩序と安全を保つために、未知のものを排除しようとする科学的な正義。
映画は、どちらか一方を完全に否定することなく、異なる正義がぶつかり合う様子を描いています。しかし、物語の結末は、最終的に子供たちの正義が勝利し、E.T.が故郷に帰るという、感動的な結末を迎えます。
まとめ
『E.T.』を追う大人たちは、決して悪者ではありませんでした。彼らは、それぞれの「正義」と「使命」に従って行動していたのです。
この物語は、子供たちの純粋な心と、大人の持つ複雑な心を対比させることで、私たちに**「真の正義とは何か?」**という普遍的な問いを投げかけているのです。
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