映画『国宝』小野川万菊のモデルは誰?「お吉さん」と呼ばれる理由についても

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大ヒットを記録している映画『国宝』。主人公・立花喜久雄の人生を導いたキーパーソン、人間国宝の女形・小野川万菊。彼の演技は、喜久雄に芸の道を志すきっかけを与え、晩年もその存在は喜久雄の心に深く刻まれていました。

しかし、映画の後半、万菊はかつての輝きを失い、きれいとは言えないような施設で最期を迎えます。人間国宝にまでなった人物が、なぜあのような孤独な最期を迎えたのでしょうか?そして、彼のモデルは誰だったのでしょうか?

この記事では、万菊の人生に隠された真実に迫ります。


小野川万菊に隠された「お吉さん」の真実

万菊は、作中で親しい者から「お吉さん」という愛称で呼ばれていました。この愛称は、日本の悲劇的な物語「心中」の主人公「お吉」に由来するものではありません。これは、彼の人生そのものを象徴しています。

  • 芸にすべてを捧げた男の物語
    「お吉さん」という愛称は、彼の芸に対する狂おしいほどの情熱と、それゆえに世間から隔絶されて生きてきた、孤独な人生を暗示しています。万菊は、芸を極めるためにすべてを犠牲にし、「芸と心中する」かのように生きてきた、その生き様を「お吉さん」という愛称で表現していたと考えられます。

モデルは六代目中村歌右衛門か

万菊のモデルは、実在の人間国宝であり、女形の最高峰と称された六代目中村歌右衛門ではないかと言われています。彼は、その圧倒的な美しさと演技力で人々を魅了する一方で、私生活では寡黙で、すべてを芸に捧げた人物として知られています。万菊の孤高で美しい生き様は、六代目歌右衛門の姿と重なります。


人間国宝が迎えた「孤独な最期」の理由と、最後の言葉

映画を観た多くの人が、なぜ万菊が病院のような場所で最期を迎えたのか疑問に感じたでしょう。人間国宝として尊敬され、多くの弟子がいたはずの彼が、なぜ最期は孤独だったのでしょうか。

それは、彼が何よりも大切にしてきた「美」が、その場所に存在しなかったからかもしれません。

最期の場面で、万菊が喜久雄に語った**「ここには美しいものがないの」**という言葉は、彼の最期が、肉体的な死だけでなく、精神的な死でもあったことを示唆しています。

  • 芸を失った男の悲哀: 万菊は晩年、病に侵され、舞台に立つことが難しくなります。芸にすべてを捧げた人間にとって、芸を失うことは、生きる意味を失うことに等しいのです。彼の最期は、芸を失ったことによる精神的な絶望も含まれていたのではないでしょうか。
  • 美のない世界への絶望: 万菊は、生涯をかけて美を追求し、自ら美を体現してきました。しかし、病に倒れ、芸を失った彼の周りには、彼が求めた美しさはもうありませんでした。彼の最期は、肉体的な苦しみだけでなく、「美しいものがない世界」にいることへの、深い絶望でもあったのです。

まとめ:万菊の死は、喜久雄に受け継がれた

万菊の最期は、一人の天才が迎えた悲劇的な終わりに見えるかもしれません。しかし、それは決して無意味なものではありませんでした。

彼の死は、彼が命を賭して極めた「芸の魂」が、弟子である喜久雄に完全に受け継がれたことを意味しています。

万菊の「鷺娘」に導かれ、彼から「芸の心」を教えられた喜久雄は、やがて万菊と同じ舞台に立ち、彼の魂を宿した「鷺娘」を舞います。

万菊の最期は孤独でしたが、彼の芸は喜久雄の中で生き続け、やがて「国宝」として輝きを放ち、永遠のものになったのです。

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