紅の豚のフェラーリンは実在した?モデルとポルコとの関係について解説

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紅の豚の主人公・ポルコ・ロッソ。かつてイタリア空軍のエースパイロットとして活躍した凄腕の飛行艇乗りが戦争に嫌気が差して自らを豚の姿に変えてしまうという物語です。
今回はポルコが人間の姿をしていて「マルコ・パゴット」と呼ばれていたときからの親友であるフェラーリンについて調べてみました。

紅の豚のフェラーリンは実在した?

フェラーリンには実在するモデルがいるとされていますが、どのような人物なのでしょうか?

アルトゥーロ・フェラーリン

1895年生まれ。トリノで学んでいるときにフランス航空界の先駆者・ルイ・ブレリオと知り合ったことでパイロットを目指します。1916年にパイロットとしての訓練を受け、第一次世界大戦ではマルコ同様に戦闘機のパイロットとして活躍した人物です。

ローマ・東京間飛行を成功させた

1918年、アルトゥーロ・フェラーリンは世界初のローマと東京間飛行を成功させました。
現在は最短飛行時間は約13時間55分となっていますが、当時は18000キロの距離を109日間かけて飛行時間は約112時間だったとのこと。
紅の豚のフェラーリン同様、爽やかなイケメンじゃないですか!侍姿で微笑む姿が楽しそうです。
ラちなみにライト兄妹が人類初の有人動力飛行に成功したのが1903年ですからわずか15年後にこれだけの長い距離を飛ぶことが出来るようになったのは凄いことだと思います!

Aeronautica Militare – Arturo Ferrarin protagonista nel 1920 del raid Roma – Tokyo

飛行機事故で亡くなる

長距離飛行の成功で名声を得たフェラーリンですが、その後はテストパイロットの他に曲芸飛行家としても活躍しました。第二次世界大戦が勃発した際には戦闘パイロットとしての復帰を望みましたが採用されなかったようです。
1941年、彼が46歳のときに新型の航空機のテスト飛行中に事故死しました。

ポルコとの関係

ポルコとフェラーリンはどよのうな関係だったのでしょうか?

イタリア空軍少佐

紅の豚でのフェラーリンはイタリア空軍少佐。マルコが空軍に在籍していたときからの友人でマルコが空軍を退役したのちも色々と気にかけています。フェラーリンは第一次世界大戦後も空軍に残って軍隊の内側で自分の信念の元で自分にしか出来ないことをしているように感じました。

軍人として最低?

フェラーリンは少佐という地位を利用して軍の機密情報を部外者であるポルコに話しています。
ましてポルコは国家の秘密警察から追われているお尋ね者。そのお尋ね者を軍に戻ってこいと誘うってかなりマズイのではないでしょうか?逃亡の手引をしたり、フェラーリンの立場が心配になってしまいますが、彼にとって軍人としての最低ということは最高の賛辞なのだそう。

ジーナとも交友関係がある

ジーナとも交友関係があり、イタリア空軍がカーチスとポルコの決闘現場に向かっているという機密情報を無線でジーナに知らせます。フェラーリンのコードネームは『F』名前の頭文字なのかファシストを意味しているのか、どちらなのでしょうね。

フェラーリンの飛行艇のマーク

私が気になったのがフェラーリンの乗っていた飛行艇にあるマークなのですがファスケスというものなんだそう。
これはファシズムを表すもので、「束」を意味するものになっています。権力と求心力の象徴として国章や紋章に用いられていることが多いようです。
マルコが『ファシストになるより豚のほうがマシさ』とフェラーリンに言い放っていましたが、そのファシストであるフェラーリンの手引でイタリア空軍の待ち伏せに合うことなく無事に隠れ家に帰還することが出来ました。

まとめ

いかがでしたか?ポルコの親友であるフェラーリンについて書かせていただきました。登場シーンは多くありませんが、ポルコとの信頼関係が分かるセリフや行動でファンも多いのではないでしょうか?
ホテルアドリアーノでジーナの歌が流れる中でお酒と美味しいお料理を楽しみながらポルコと語り合う、そんなシーンが目に浮かびます。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!

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