NHK朝ドラ『ブラッサム』を見ていて、どうしても気になるのが珠の父・葉野清治です。
自分は仕事をせず、本家の葉野酒造から毎月お金を受け取って生活。それでいて家族には厳しく、「一生自由に暮らす」と言い切ります。
なぜ清治は、そこまで頑なに働こうとしないのでしょうか。
ドラマではまだ、その本当の理由までは明らかになっていません。
ただ、『ブラッサム』の主人公・葉野珠のモデルとなった宇野千代の父・宇野俊次について調べてみると、驚くほど清治と重なる部分があります。
俊次も定職を持たず、実家の造り酒屋からお金を受け取って生活していた人物でした。
しかし、ドラマは史実をそのまま再現しているわけではありません。
むしろ清治と俊次の「違い」に注目すると、ドラマが清治という人物に何を背負わせようとしているのかが見えてきます。
『ブラッサム』には原作がある?
まず押さえておきたいのは、『ブラッサム』には物語の続きが分かるような原作小説はないということです。
主人公・葉野珠は作家の宇野千代をモデルにしていますが、宇野千代本人を主人公にした伝記ドラマではありません。
実在の人物や出来事を下敷きにしながら、葉野珠という架空の人物の人生として描かれています。
そのため、父・清治についても「宇野千代の父と同じ人生をたどる」とは限りません。
ただし、宇野千代が自伝や随筆などに書き残した父・俊次の人物像を見ると、清治の設定に強く反映されていることが分かります。
宇野千代の父・宇野俊次も働いていなかった
宇野千代の父・宇野俊次は、山口県の高森にあった造り酒屋の家に生まれました。
宇野千代は後年、父について「放蕩無頼」と評しています。
俊次は定職を持たず、実家から経済的な援助を受けながら暮らしていました。
しかも、その生活は質素なものではありません。
競走馬を所有し、料亭や遊郭へ出かけ、米相場や賭博にも手を出していたと伝えられています。
やがて財産を使い果たすと、実家の造り酒屋から毎月1日と15日にお金を送ってもらって生活するようになりました。
「実家の酒造から定期的にお金を受け取り、自分は働かない」
これは『ブラッサム』の清治とかなり似ています。
清治と俊次にはカナリアにもつながる共通点がある
さらに興味深いのが、清治が大切にしているカナリアです。
ドラマでは清治が鳥かごのカナリアをかわいがる姿が印象的に描かれています。
実は宇野俊次も小鳥を飼うことを好んでいました。
宇野千代の回想には、父に命じられて鳥の餌を取りに行かされたというエピソードも残っています。
競走馬、小鳥、働かず実家から受け取るお金。
ここまで重なると、清治の人物造形に俊次のエピソードが取り入れられていると考えるのが自然でしょう。
ただ、カナリアについてはドラマならではの意味も持たされているように感じます。
大きく違うのは「長男なのに家督を譲った」という設定
清治と俊次には、決定的な違いがあります。
ドラマの清治は葉野酒造の長男です。
本来なら清治が家督を継いでもおかしくありませんが、弟・清重にその立場を譲り、代わりに本家から毎月お金を受け取っています。
ところが実在の宇野俊次は、造り酒屋の次男でした。
本家を継いだのは兄の政介です。
つまり、「長男だったのに弟へ家督を譲った」という清治の過去は、史実とは異なるドラマ独自の設定と考えられます。
ここはかなり重要ではないでしょうか。
単に宇野俊次の「働かない父」を再現したいのであれば、わざわざ清治を長男に変える必要はありません。
清治を長男にしたことで、ドラマでは「本来なら家を背負うはずだった男が、なぜそこから降りたのか」という新しい謎が生まれています。
史実の俊次が働かなかった理由はかなり単純?
宇野俊次について残されている記録を見る限り、「働かなかったこと」に清治のような複雑な理由があったとは確認できません。
裕福な造り酒屋の家に生まれ、実家から経済的な援助を受けられる環境があり、定職を持たないまま放蕩な生活を続けた人物です。
新しい競走馬を買おうとして兄に止められ、仕送りまで止められると、馬に乗って兄の家へ押しかけて大暴れしたという強烈な逸話まで残っています。
宇野千代自身も、そんな父をかなり特異な人物として振り返っています。
つまり史実だけを見るなら、「なぜ働かないのか」という問いに対して、特別な秘密が隠されているとは考えにくいのです。
ところが『ブラッサム』の清治には、明らかにそれとは違う描写が加えられています。
なぜドラマは清治を「自由」にこだわる男にしたのか
清治はただ「働きたくない」と言っているわけではありません。
「一生自由に暮らす」と言い、働くよう求められても頑なに拒みます。
そして弟の清重からは、今のままでは兄の「窮屈」は変わらないという意味の言葉を向けられています。
自由に暮らしているはずの清治が、実は窮屈に生きている。
この矛盾が、清治という人物の鍵になっているのではないでしょうか。
葉野酒造の長男として生まれた清治には、本来なら家を継ぐという決められた人生がありました。
そこから降りて弟に家督を譲ったことで、一見すると自由を手に入れています。
しかし生活費は今も葉野家から受け取っている。
家を捨てたつもりでも、完全には家から離れられていないのです。
だからこそ清治は、必要以上に「自由」にこだわっているのかもしれません。
カナリアは「自由ではない清治」の象徴なのか
ここで気になるのが、やはり鳥かごのカナリアです。
宇野俊次が小鳥好きだったという史実を取り入れただけとも考えられます。
しかし『ブラッサム』では、カナリアをわざわざ鳥かごの中にいる存在として印象的に見せています。
清治は働かない。
家督も継がない。
自分は自由に生きると言う。
ところが、その生活を可能にしているのは葉野家からのお金です。
鳥かごの扉が閉まっていても、餌を与えてもらえるカナリア。
本家を離れていても、本家からお金を与えられて生きる清治。
二つの姿はどこか重なります。
もしカナリアが清治自身を象徴しているのだとすれば、清治は自分が思っているほど自由ではありません。
だから清重は兄の生き方を「窮屈」と表現したのではないでしょうか。
清治が働かないのは「家」への抵抗なのかもしれない
史実の宇野俊次とドラマの清治を比べると、清治が働かない理由について一つの可能性が浮かびます。
それは、働かないこと自体が清治なりの「家」への抵抗なのではないかということです。
葉野酒造の長男として生まれた以上、周囲からは「こう生きるべきだ」という人生を求められていたはずです。
家を継ぎ、働き、家長になる。
清治はそこから降りました。
そして「働かない」「自由に暮らす」という、家から期待されたものとは正反対の生き方を選んでいます。
ところが、自由になるために家督を手放したはずなのに、生活はその家に頼っている。
その矛盾を本人も分かっているからこそ、「自由」という言葉に執着しているとも考えられます。
単なる怠け者として描くなら、ここまで複雑な設定は必要ありません。
実在した俊次の「働かない父」を土台にしながら、ドラマではそこへ家に縛られた男の苦しさを加えているように見えます。
父の生き方は珠の「自由」にもつながっていく?
そしてもう一つ興味深いのが、父・清治と娘・珠の関係です。
『ブラッサム』は、宇野千代をモデルにした女性・葉野珠の人生を描く物語です。
宇野千代は後に故郷を離れ、自分の人生を自分で選びながら作家として生きていきました。
そう考えると、序盤から父親に「自由」というテーマを背負わせていることにも意味がありそうです。
清治は自由を求めながら、葉野家との関係を断ち切れない。
一方の珠は、これから家や故郷、時代の価値観から飛び出していくことになります。
自由になりたい父と、実際に自分の人生を切り開いていく娘。
同じ「自由」を求めながら、二人はまったく違う生き方をするのかもしれません。
清治という人物が序盤からこれほど強烈に描かれているのも、後の珠の生き方と対比させるためではないでしょうか。
まとめ
『ブラッサム』の清治と宇野千代の父・俊次には、働かず実家からお金を受け取って暮らしていることや、小鳥を飼っていることなど、多くの共通点があります。
一方で、実在の俊次は造り酒屋の次男。ドラマの清治は長男でありながら弟に家督を譲った人物です。
この変更は、「なぜ清治は家を継がなかったのか」「なぜそこまで自由にこだわるのか」というドラマ独自の謎につながっています。
史実の父を知ると、清治の「働かない」という設定そのものは宇野俊次から来ていることが分かります。
しかし、清治が働かない本当の理由については、これから描かれる余地が残されています。
自由を求めて家督を手放したのに、本家のお金がなければ暮らせない清治。
鳥かごのカナリアは、そんな清治自身の姿なのかもしれません。
そして清治が求めても手に入れられなかった「自由」を、娘の珠がどのようにつかんでいくのか。
父と娘を対比して見ていくと、『ブラッサム』の物語がさらに面白くなりそうです。
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