【バケモノの子】2015年に公開された細田守監督が手掛けたアニメーション映画。バケモノと少年が出会い、共に成長して大切なものに気付いているファンタジー作品です。
今回は物語の中のキーワード『心の闇』と『胸の中にある剣』について解説&考察していきたいと思います。
Contents
【バケモノの子】心の闇とは?
『心の闇』とは人間の中にある様々な負の感情のことを指しています。バケモノ界では人間の心の闇を恐れて人間と関わることを良しとしません。人間の子どもを弟子にするという熊鉄に周囲は反発しますが、熊徹は頑として蓮を弟子にすることを諦めません。
どうやらバケモノたちの中には心の闇は存在しないようで、人間よりも精神性が高いことが垣間見えるセリフがありました。
蓮(九太)の心の闇
交通事故で母親を亡くし、離婚した父親が迎えに来てくれると思っていたところに親戚から父を否定する言葉をかけられ反発して家を飛び出してしまいました。
行くあてのない9歳の少年の心に不安と絶望から「大嫌いだ」の言葉と共に真っ黒な人の形をした心の闇が現れてしまいます。
一郎彦の心の闇
バケモノ界で人格者と慕われる父とは異なる外見に「自分は何者なのだろう」という不安と恐れ、熊徹のもとで修行を積み立派に成長した九太に対して「人間のくせに」と嫌悪感を持ってしまいます。
青年になっても父や弟のように牙も立派な鼻もない外見を隠すようになってしまいました。
素直な弟と尊敬する父が九太を認めたことで心の闇が爆発して、その怒りが九太に向けられていきました。
【バケモノの子】胸の中にある剣とは?
胸の中にある剣とは一体何なのでしょう?
映画のストーリーや伏線などから考察してみます。
熊徹の胸の中にある剣
師匠である熊徹に武芸を教えてもらう九太ですが、我流で強くなった熊徹は言葉で的確なアドバイスが出来ません。「胸ん中に剣があるだろう!」と言いますが九太には何のことだかさっぱりと伝わらず、お互いにヤキモキします。熊徹の言う胸の中とは心の中を指しているようです。
熊徹は自分の信念のもと、誰に何を言われても志を曲げない強さがありました。
その強さは胸の中に剣があるからなのだと思います。
九太の胸の中には剣がない
九太は自分の将来のこと、実父への思い、養父である熊徹への気持ちのすれ違いなどから不安と怖れを抱いてしまいます。子どもの頃に作り出してしまった心の闇と出くわしてしまったことで、心の隙間に入り込まれてしまいました。
子どもの頃に熊徹に言われた「胸の中にある剣」、このときの九太の胸の中には剣はまだありません。
熊鉄から授けられた剣
心の闇に取り込まれた一郎彦とバケモノ界と人間界を救うために闘う九太。自分の心の隙間に一郎彦の闇を取り込み自らを犠牲することを思いつきました。
そこに九太の胸の中の剣になることを決め、付喪神となった熊徹が現れます。
九太は付喪神となった熊鉄を胸の中に納めます。揺るぎない信念と九太を想う熊鉄の心が一体となり胸の中の剣を使い、一郎彦の心の闇を消滅させることが出来ました。これからは心の中の剣が九太の支えとなることでしょう。
胸の中にある剣の意味
九太の胸の中には熊徹が付喪神となったおかげで剣が宿りました。でも熊徹の胸の中にも元々、付喪神が宿っていたのでしょうか?
熊徹の『胸の中の剣』とは誰に何を言われても揺るぎない信念や誇り、大切な誰かを想う気持ちで芽生えたのでは?熊徹の振る舞いを見ていてそう感じました。宗師様はそれを見抜いていたからこそ、熊徹に目をかけていたのだと思います。その強い気持ちこそが熊徹の強さです。
まとめ
心の闇は誰でもが持っているものだと思います。決して弱さではないと思いますが、ふとしたことがきかっけで闇が深くなってしまう。一郎彦も九太も誇り高きバケモノの子として心の闇を払拭しました。
このことがきっかけで一郎彦にも胸の中の剣が芽生えたのではないかと思っています。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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