NHK連続テレビ小説『ブラッサム』で、小学校の代用教員になった葉野珠が、教頭から化粧を注意される場面がありました。
今では学校の先生が化粧をしていても、それほど珍しくありません。しかし、大正時代の学校では、若い女性教師の化粧が問題視されることもあったようです。
なぜ珠は、化粧をしただけで注意されたのでしょうか。
その背景には、当時の女性教師に求められていた「清楚で慎ましい女性」という理想像がありました。
さらに興味深いのは、珠のモデルとなった宇野千代も、教師時代に化粧に夢中になっていたという実話です。
宇野千代は月給8円のうち、約1円50銭から1円60銭を化粧代に使っていたと伝えられています。
珠が教頭から注意された理由と、宇野千代の化粧にまつわる実話を、大正時代の女性の働き方とともに見ていきましょう。
『ブラッサム』珠はなぜ化粧を注意された?
『ブラッサム』第3週では、女学校を卒業した珠が小学校の代用教員として働き始めます。
教師になった珠は化粧をして学校へ通いますが、教頭からその身だしなみをとがめられました。
現在なら、教師が化粧をしていること自体を問題にするのは不思議に感じられますよね。
しかし、珠が働いているのは1914年(大正3年)頃の小学校です。
当時は、女性教師に対しても、子どもたちの手本となる慎ましい振る舞いが求められていました。
華やかな化粧や目立つ服装は、教師としてふさわしくないと受け止められることがあったのです。
教頭が珠を注意したのも、化粧そのものが法律で禁止されていたからではなく、学校の先生らしい身だしなみを守るべきだという考えがあったためと考えられます。
一方の珠にとって、化粧は自分をきれいに見せるための楽しみだったのでしょう。
ここには、学校が求める教師の姿と、若い女性としておしゃれを楽しみたい珠の気持ちとの違いが表れています。
大正時代の女性教師は化粧をしてはいけなかった?
大正時代の女性教師が、すべて化粧を禁止されていたわけではありません。
女性が白粉(おしろい)を使ったり、髪を整えたりする習慣は以前からあり、化粧そのものが特別な行為だったわけでもないのです。
ただし、どの程度の化粧がふさわしいと考えられるかは、立場や職業によって異なりました。
特に学校は、子どもたちに勉強だけでなく、礼儀や生活態度も教える場所です。
教師自身の服装や振る舞いにも、周囲から厳しい目が向けられていました。
女性教師には清楚で慎ましい姿が求められた
明治から大正にかけて、女性の教育では「良妻賢母」という考え方が重視されていました。
良妻賢母とは、家庭を支える妻であり、子どもを立派に育てる母であることを女性の理想とする考え方です。
女学校で学んだ女性たちにも、礼儀正しく、慎ましく、品のある振る舞いが期待されていました。
当時の女子教育に関する資料でも、身だしなみは派手に美しく飾ることより、清楚で端正に見えることが大切だと説かれています。
こうした価値観の中では、若い女性教師が目立つ化粧をして学校へ来ることを、好ましく思わない人がいても不思議ではありません。
珠を注意した教頭も、教師には教師らしい見た目があると考えていたのでしょう。
化粧そのものより「目立つこと」が問題だった?
ここで大切なのは、当時の女性が化粧をまったくしていなかったわけではないという点です。
白粉や口紅などの化粧品は存在し、身だしなみとして化粧をする女性もいました。
問題になりやすかったのは、周囲から華美だと思われるほどの化粧です。
特に教師の場合、子どもたちの手本となる立場であることから、一般の女性以上に慎重な振る舞いを求められることもあったと考えられます。
珠の化粧を見た教頭は、若い女性としてのおしゃれよりも、教師としての規律を優先したかったのでしょう。
宇野千代も教師時代に化粧に夢中になっていた
珠の化粧好きは、モデルとなった宇野千代の実話と重なる部分があります。
宇野千代は1897年に山口県岩国で生まれ、1914年に岩国高等女学校を卒業しました。
卒業後は川下尋常小学校の代用教員として働き始めています。
当時の月給は8円でした。
宇野千代は教師になってから化粧に関心を持つようになり、自分の給料で化粧品を買うようになります。
幼い頃から父親に肌の色をからかわれていたこともあり、化粧によって自分の容姿が変わることに魅力を感じたようです。
自分で働いて得たお金を、自分の好きなことに使う。
宇野千代にとって化粧は、単なる身だしなみではなく、自分の意思で楽しめるものだったのでしょう。
月給8円の約2割を化粧代に使っていた
宇野千代は代用教員として月給8円を受け取っていました。
そのうち、化粧代に使っていた金額は約1円50銭から1円60銭だったと伝えられています。
割合にすると、月給の約19〜20%です。
現在の感覚で考えても、給料の約5分の1を化粧品に使うのは、かなり大きな割合ではないでしょうか。
それほど宇野千代は、自分を美しく見せることに関心を持っていたのです。
初めての給料を継母に渡して喜ばせた宇野千代ですが、働くうちに、自分のためにお金を使う楽しみも覚えていきました。
ドラマで珠が化粧を楽しむ姿には、こうした宇野千代の若い頃の気持ちが反映されていると考えられます。
宇野千代は化粧をして学校に通っていた?
宇野千代は後年、自分の若い頃を振り返り、好きな男性によく思われたい一心で、念入りに化粧をして学校へ通っていたことを語っています。
教師でありながら、恋をすると気持ちがその相手に向かい、おしゃれにも一層力が入ったようです。
その様子は、宇野千代本人の言葉を紹介した『東洋経済オンライン』の記事でも確認できます。
ただし、宇野千代が化粧をしたことだけを理由に、学校から処分を受けたわけではありません。
教師としての振る舞いや周囲との関係など、さまざまな事情が重なっていました。
『ブラッサム』で珠が教頭から注意される場面は、こうした宇野千代の化粧好きと、当時の学校の厳しい価値観を組み合わせた描写と考えられます。
大正時代に女性が働くことは珍しかった?
珠が教師として働き始めた1914年頃は、女性の社会進出が少しずつ広がっていた時代でもあります。
ただし、女性が働くこと自体が珍しかったわけではありません。
農業や商業、工場などでは、以前から多くの女性が働いていました。
一方、女学校を卒業した女性が職業に就き、自分の給料を得ながら生きていくことには、まださまざまな制約がありました。
女性教師は、当時の女性にとって比較的社会的な評価を得やすい職業の一つでしたが、その分、周囲から求められる振る舞いにも厳しい面があったのです。
教師として働くことは認められていても、自由におしゃれを楽しむことまで歓迎されるとは限りませんでした。
珠が化粧を注意された場面からは、女性が働き始めた時代ならではの難しさが感じられます。
珠の化粧は自分らしく生きたい気持ちの表れ?
珠は父親の決めた結婚を経験しながらも、自分の意思で家を飛び出し、教師として働く道を選びました。
そして、初めての給料を受け取ることで、自分の力で生活を支える一歩を踏み出しています。
そんな珠にとって、化粧は自分で選べる楽しみの一つだったのではないでしょうか。
当時の女性には、家庭でも学校でも、周囲が望む姿に合わせることが求められていました。
しかし珠は、ただ決められた通りに生きるだけでは満足できない女性として描かれています。
教頭から注意されるほど化粧に関心を持つ姿にも、周囲の価値観に縛られたくない気持ちが表れているように感じられます。
モデルの宇野千代も、後に作家や着物デザイナーとして活躍し、自分らしい美しさを追求し続けた女性でした。
若い頃に化粧を楽しんでいた経験は、その後の生き方にもつながっていたのかもしれません。
まとめ
『ブラッサム』で珠が教頭から化粧を注意されたのは、当時の女性教師には清楚で慎ましい振る舞いが求められていたためと考えられます。
大正時代に化粧そのものが禁止されていたわけではありませんが、学校では目立つおしゃれが好ましくないと受け止められることもありました。
一方、モデルの宇野千代は、月給8円のうち約2割を化粧代に使うほど、おしゃれに夢中になっていた女性です。
珠が化粧を楽しむ姿には、宇野千代の実際の経験が反映されているのでしょう。
教頭の注意は、単なる身だしなみの問題だけでなく、女性に求められた生き方と、自分らしくありたい珠の気持ちとの違いを感じさせる場面でもありました。
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