レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンは実在して市長になった?死因や生涯について解説します!

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レ・ミゼラブル、映画やミュージカルでも人気のある私も大好きな作品。
2021年5月に帝国劇場にて上演が決まったレ・ミゼラブル。上演まで待ちきれない!
主人公のジャン・バルジャンの気になるあれこれを調査してみました。

ジャン・バルジャンの生涯

『Les Misérables』2019年全国5大都市ツアー公演!

ジャン・バルジャンの生い立ち

1769年、貧しい農家の子供として生まれた。
幼い頃に両親を亡くし、歳の離れた姉に育てられるが、25歳の時に姉の夫が死去。
バルジャンが姉と7人の子どもたちを養わなければならず、生活が苦しい中で子どもたちのためにパンを一本盗んで逮捕されてしまう。この時バルジャンは26歳。当初は5年の刑だったが4度も脱獄を図ったため、19年間も監獄で過ごしていた。監獄内でも並外れた怪力で有名だった。
1815年10月に出獄したときは46歳。長い監獄生活で人間社会に対する憎悪の塊となってしまったが、ミリエル司教との出会いで愛を取り戻す。ミリエル司教の教えの通り『正しい人』でいるように努めた。

姉や子どもたちのことを心配して何度も脱獄を図ったのでしょう。
仮出獄した際には姉と子どもたちは消息不明となっていました。

ジャン・バルジャンの囚人番号

囚人は名前ではなく、囚人番号で呼ばれます。
ジャン・バルジャンも仮釈放の際には名前で呼ばれましたが収監中は囚人番号でしか呼ばれていません。
ジャン・バルジャンの囚人番号、ミュージカルでは『24653』ですが
映画版では『24601』でした。
これは日本語に訳した際に語呂が合わないということで『24653』になったようです。

ジャン・バルジャン モントルイユ市長に

1819年。マドレーヌと名前を偽り、黒いガラス玉や模造宝石の工場の経営で成功を収めていたジャン・バルジャン。多くの人を雇い、街の発展と雇用、経済に貢献していた。
善良な人柄と言動が人々に高く評価され、1819年に国王ルイ18世の命で市長の座に就く。
これもミリエル司教の教えに従って『正しい人』として生きてきたからこその功徳でしょう。
この成功が運命の歯車によって、再びジャベールに出会い、更に試練が訪れるとは・・・

正しい人であるからこそ、馬車の下敷きとなって身動き出来なくなっている老人を持ち前の怪力で馬車を持ち上げ救い出します。その行為がジャベールに『ジャン・バルジャン』を彷彿させてしまうことになるのですが・・・
ただ、この助けた老人がのちにジャン・バルジャンとコゼットを助けてくれる存在になります。
私はジャン・バルジャンの行いを見て 情けは人の為ならず という言葉が当てはまると強く思いました。


モントルイユ市は実在する街で、今も蚤の市が賑わっているそう。



ジャン・バルジャンの最期・死因について

ジャン・バルジャンは64歳でその激動の生涯を終えました。
死因は衰弱死とありますが、息苦しそうなシーンやヨタヨタと力なく歩くシーンなども見られたので病を患っていたと思われます。

最期は愛するコゼットに看取られて天国へと旅立っていくジャン・バルジャン。
コゼットの隣には信頼してコゼットを託すために命がけで助けたマリウスもいます。
彼は犯罪者と言われていましたが、たくさんの人を救い、たくさんの愛を捧げ、そして彼もたくさんの人に愛された人生だったのではないでしょうか。

タイトルの『レ・ミゼラブル』は直訳すると『悲惨な人々』『哀れな人々』となりますが
愛を知ることの出来た彼は決して哀れではないと思いました。

ジャン・バルジャンは実在した?

ウジェーヌ=フランソワ・ヴィドック
フランスの犯罪者で怪力の持ち主、10年間で脱獄と逮捕を繰り返して出獄後にパリ警察の密偵となったヴィドックがジャン・バルジャンとジャベールのモデルとなったと言われています。
ジャン・バルジャンとジャベールが同一人物がモデルと知って衝撃的でした!
ヴィドックは世界初の探偵となったようです。

まとめ

色々調べていくうちに、映画やミュージカルでは見えなかったジャン・バルジャンのリアルな苦しみや悲しみに触れることが出来ました。理解度が深まってから映画を再度見たときには感情移入し過ぎて思わず随所で号泣でした。

まだまだお伝えしたいことがたくさんあります。
大好きなレ・ミゼラブルについて、これからも色々調査していきたいと思います!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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