「コクリコ坂から」2011年に公開されたスタジオ・ジブリ宮崎吾朗監督によるアニメーション作品で1963年頃の横浜にある港南学園に通う海と俊の青春を描いた物語です。
作中でも特に印象深い『カルチェラタン』という建物。このカルチェラタンをきっかけに学生運動なども起こるのですが、気になった点を深掘りしていきたいと思います。
コクリコ坂からのカルチェラタンとは?
『カルチェラタン』印象的な言葉ですが、どのような意味があるのか?モデルとなった建物について詳しく解説していきます。
清涼荘
元々は寄宿舎として使用されていましたが、現在は男子文化部の部室棟として使われている洋風建築の歴史ある建物。明治時代に建てられた趣のある洋館です。
ただ、全く手入れがされておらず、階段や手すりも朽ちていて危険な状態。玄関を入ってメインの広間のシャンデリアもホコリだらけで灯されていません。
これでは取り壊しが決定しても仕方ありませんね。
Quartier Latin(カルチェラタン)
「カルチェラタン」はフランス語で直訳すると「ラテンの地区」という意味です。
パリなのに何故ラテン語?と思いましたが、フランス未統一時代、当時の国際共通語だったのがラテン語なんです。この地域には若く情熱的な学生たちが溢れ、学生運動も活発だったようです。
まさに港南学園の男子学生たちにピッタリな名前ですね!
カルチェラタンは男の魔窟、コクリコ荘は女性専用の下宿ということで女の園。
この対比も物語に深みを与えているようでdす。
モデルとなった建物
公式では明らかにされていませんが、ファンの間でモデルではないかと囁かれている建物がいくつか確認出来ました。
旧西田川郡役所
上げ下げ窓や時計台など、確かにカルチェラタンに似ています。
私立女子校跡見学園
こちらは1975年に日本で始めての私立女子学校として設立された跡見学園の寄宿舎。
カルチェラタンは元は清涼荘という寄宿舎でした。こういった背景もモデルとされている理由でしょうね。
ジブリ美術館
こちらは宮崎吾朗監督が公言しています。
学生運動について
俊や生徒会長の水沼も歴史ある建物カルチェラタンの取り壊しを反対する学生運動を行っていました。
講義のために時計台から飛び降りるなど、派手なパフォーマンスや新聞発行や討論会などで学生や学校の支持を得ようとしますが、なかなか上手くいきません。
俊と水沼はメルのカルチェラタンをキレイに掃除をして良さを分かってもらおうという提案を受け入れます。
男子生徒だけでなく女子生徒の協力によって、かつての美しい洋館の姿を取り戻し、生徒の大多数がカルチェラタン存続派に変わっていきました。新たに生まれ変わったカルチェラタン。
理事長への直談判も含め、極めて平和的方法で無事に解決しました。
まとめ
カルチェラタンが存続されることは、若い学生たちにとっても良いことだと思いました。この頃の日本は高度成長期ということもあり、新しい建物が建築されていった時期でしょう。
新しい近代的な建物も良いですが、歴史を感じられる建物も大切にしてほしいですね。
これからは掃除やメンテナンスもしっかりして、後世に伝えていってほしいと心から願います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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