「コクリコ坂から」は、2011年に宮崎吾朗監督によって制作された日本のアニメーション映画です。
1963年の横浜を舞台にした主人公の少女・海(メル)と俊の青春物語です。
この記事では海(メル)と俊の関係、俊が父親に似ていると言われる訳と海が毎朝掲げる旗の意味など気になった点を掘り下げていきたいと思います。
Contents
コクリコ坂からのメルと俊の関係
海(メル)と俊の関係はどのようなものなのでしょうか?
松崎海(メル)
港南学園高等部2年生の女の子。海は家族や友人たちから「メル」と呼ばれています。
フランス語で海は『la mer(ラ・メール)』なのでそこから愛称「メル」となりました。
幼い頃に朝鮮戦争で父親を亡くし、大学教授である母(アメリカに留学中)の実家で祖母・妹・弟と一緒に祖母が営む女性専用下宿「コクリコ荘」で暮らしています。
風間俊
メルと同じ港南学園高等部に通う高校3年生。自宅から高校までは遠く(作品中では本町と言っています)父親に船で送迎してもらっています。俊の家は裕福ではありませんが寡黙ながら息子を思う父と心配性な母と運河沿いの家に住んでいました。大学は学費があまりかからない国立を目指しているようです。
週刊カルチェラタンの発行を部活動としている学園のヒーロー的存在。
メルの妹の空も俊に憧れてサインをねだるほどです。
二人は兄妹なのか?
亡き父が写っているお気に入りのものだとメルが見せてくれた1枚の写真。
俊はこの写真に見覚えがありました。3人の男性が写っている写真には澤村雄一郎、立花洋、小野寺善雄と名前も記されています。澤村雄一郎がメルの父親なのですが、俊も自分の父親は澤村雄一郎だと養父から聞いていたのでした。
実際は二人は兄妹ではなく、本当の父親である立花洋が亡くなり、母も俊を産んですぐに亡くなっていた俊は孤児になってしまったのです。赤ちゃんだった俊の将来を案じて澤村は自分の戸籍に入れてしまいます。戦後の混沌とした状況では珍しいことではありませんでした。
その後、現在の養父である風間夫妻の養子となった俊。
戸籍上は兄と妹ですが、実際には兄妹ではなく血の繋がりもありません。
兄と妹でないことを知ったメルと俊は心から安堵するのでした。
俊が父親に似ている訳
メルは母から俊の出生の事情を教えてもらった際に、「お父さんに似ている?」と聞かれます。
なぜ、母はそんなことを聞いたのでしょうか?
ファザコン
メルは父親のことが大好きな俗に言うファザコンであることが分かります。
そんなメルが好きになった男の子、きっと父親に似ているのだろうと思っての発言だったのではないでしょうか?
運命的な出会い
大好きだった父の親友の息子である俊と偶然に出会ったこと。俊は「メロドラマだ」と呟いていましたが、二人が出会うことは必然であり運命だった。メイの父親と俊の父親が巡り合わせてくれたのだと
感じます。
海が揚げる旗の意味と返事
海が毎朝、掲げているのは国際信号旗の2字信号です。船乗りであった父の無事での帰りを願って幼少の頃から揚げていました。旗を出しておけば父が迷子にならずに帰って来れると言う言葉を信じていたのです。
父親を亡くして母の実家であるコクリコ荘に住むことになった際に旗竿がなく、旗を揚げられないと泣く海を不憫に思って祖父が立ててくれました。
毎朝、必ず掲げられる信号旗。意味はU旗とW旗で「ご安航を祈る」を意味しています。
亡くなった父のために揚げている信号旗ですが、この旗は海を航海している船にとって嬉しいものとなっているようです。
コクリコ荘の住人である美大生の幸子さんが、毎朝メルの揚げる旗に対して返事をしている船があると教えてくれました。「感謝します」と返してくれる船があることにメルは嬉しくなるのでした。
その船は俊の父親が操縦する船で俊が掲げているのだったのです。
旗をあげる少女
少女よ君は旗をあげる
なぜ 朝風に想いをたくして よびかける彼方
気まぐれなカラスたちを相手に
少女よ今日も紅と白の
紺に囲まれた色の 旗は翻る
-風-
週刊カルチェラタン より
週間カルチェラタンに掲載されたものです。
この詩は毎朝、国際信号旗を揚げているメルのことを思って綴られたもの。
ペンネームの「風」とは俊のことでしょう。
毎朝、船を使って登校している俊は以前からメルに密かな想いを抱いていたのですね!
うーん、青春!
まとめ
私は自分の複雑な出生を知っても真っ直ぐに育った俊を育てた両親、風間夫妻に心を打たれました。
若いメルと俊がこの先、どうなるのかは分かりませんが大海原を愛する二人の未来が穏やかな航海であるよう祈るばかりです。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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