リメンバーミーのチチャロンとは?あこがれのファニータの歌詞が違うことについても

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リメンバーミーはディズニー&ピクサー制作のアニメーション映画でキャッチコピー『それは時を超えて一家族をつなぐ、奇跡の歌』で家族の絆を描いた作品です。今回は劇中でヘクターがアミーゴのチチャロンのために歌った「あこがれのファニータ」について解説していきたいと思います。

リメンバーミーのチチャロンとは?

『忘れかけられた存在』で動くこともままならないチチャロンとはどのような人物だったのでしょうか?

チチャロンはヘクターのいとこ?

チチャロンはヘクターと同じく死者の国の最下層に住んでおり、ここには家族や身寄りのない者たちがお互いを家族と適当に呼び合って暮らしていました。
ヘクターはチチャロンを「いとこ」と言っていましたがチチャロンの家には『PROhibiDo ei PASO』(スペイン語で立入禁止の意味)『No ENTRAR』(ポルトガル語で立入禁止の意味)と大きく書かれており、人との関わりを嫌っていたように思われます。人懐っこい陽気なヘクターはそんなことお構いなしでチチャロンを慕っていたのでしょうね。

チチャロンはミュージシャンだった

チチャロンのベッド代わりのハンモックの中にはギターの他にもトランペットやマラカスや太鼓などもあります。ギターはチチャロンにとって大切なもの。俺の大事な愛しいギターと称していて片時も離したくない様子でした。生前、チチャロンもミュージシャンだったのではないでしょうか。
『忘れかけられた存在』で今にも消え入りそうなチチャロンにはギターを弾きたくても弾く体力は残されていません。
ヘクターに「一曲でいい」と自分の代わりに思い出の曲を弾いてほしいと悲願するのでした。

あこがれのファニータの歌詞が違うことについて

ヘクターがチチャロンのために演奏した曲、あこがれのファニータですが途中でチチャロンに
『おい、歌詞が違うぞ』と指摘されます。歌詞が違うとはどういうことなのでしょう?

あこがれのファニータの歌詞

Naohito Fujiki – あこがれのファニータ (From "Coco")

あこがれのファニータ ふぞろいな目の色
出っ歯に引っ込んだ
アゴ、それから・・・
腕は床につくほど
髪の毛はゴワゴワ ガニ股のくせに
不細工な俺に 振り向きもしない

腕は床につくほど~の後にチチャロンから「歌詞が違うぞ!」と言われます。ヘクターは「子どもの前だから」とたしなめて演奏を続けました。
本当の歌詞は『knockers』(女性のバスト)を指していたので似ている『knuckles』(腕)に変えたようです。ヘクターの大人の配慮、さすがですね。

この曲の作者は?

ヘクターは愛する家族のために向けた曲を書いています。「あこがれのファニータ」はイメルダを想って書いたとは思えない内容。そして演奏を終えたあとにチチャロンが『思い出が蘇ったよ、Gracias』と微笑みました。
この曲は実体験を元にチチャロンが生前に書いたもので、歌詞に出てくる不細工な俺というのはチチャロン本人で憧れの女性、ファニータに対する想いを綴った曲なのだと思われます。

ファニータの人物像

ファニータがどんな女性だったのか考察してみます。チチャロンは少し捻くれた男性のように見受けられます。この歌詞はファニータに素直に想いを伝えられないもどかしさが表れているのではないでしょうか?
ふぞろいな目の色は表情豊かで感情で目の色が変わることを指し、ゴワゴワの髪の毛も豊かなロングヘア、出っ歯は歯を見せて笑う笑顔、引っ込んだ顎は上目遣いに見つめる仕草、そして床につく・・というのは大げさでしょうが大きなバストの持ち主でチチャロンに興味がない素振りをみせる魅力的な女性。チチャロンの心に美しい思い出として残っているのですから素敵な女性だったのでしょう。

まとめ

あこがれのファニータについて考察を含めて書かせていただきました。このシーンは切なくもあり、ヘクターの優しさが溢れているもの。ファニータの思い出とともにチチャロンは二度目の死を迎え、旅立っていきました。二度目の死の先でファニータと再会出来ていることを願います。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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